『こんにちは、母さん』
監督 山田洋次

 山田作品は、美術【西村貴志】が充実していて、画面【撮影:近森眞史、照明:土山正人】が美しく、それによって心洗われる部分が大きいのだと改めて思った。人にとって大事なものとは何なのかが沁みてくるような映画だった気がする。

 仏文学の研究に専念できず人の顔色ばかり窺うポスト競争に疲れて大学を辞したという荻生牧師(寺尾聰)と、昔は女で苦労して今は女がいないことで苦労しているなどと言うホームレスの老人(田中泯)の苦労のタネの両方を現役の中年として背負い、疲弊しきっている大手企業の人事部長を務める神崎昭夫(大泉洋)を観ながら、その両方において難儀を負うことなく長寿手帳を携帯するに至った我が身の幸運を思った。

 大企業の人事部長としてリストラに当たることのストレスフルについては、そもそも管理マネジメントが嫌で管理職を望まなかった僕には想像が及ばないが、世界的な大企業に就職した大学のゼミ友が三十年近く前に、関連会社に出向してまさしくリストラ業務に当たっていた時にその業務の過酷さを零していて、外部の全く利害関係のない学友なればこそ話せる具体を聴いて神妙な気持ちになったり、自分が勤めていた組織の人事課長の職にあった同窓生と飲み屋街で偶然出会わせ、一軒付き合えと言われて愚痴を聞いてやったことを思い出した。両名とも普段ほとんど弱音を吐くような人物ではなかっただけに、そのストレスの大きさが余程のものであることが想像され、実に気の毒だった覚えがある。

 大学時分からの友人で同期入社の木部課長(宮藤官九郎)のリストラ後をあれだけ心配していた神崎がいきなり職を辞して退社するのは少々腑に落ちないが、まさか煎餅焼きに転じるのは幼馴染の手前、できないことだろうから、何を始めるのだろう。牧師の道も、空き缶拾い生活も、似つかわしくなさそうな神崎だった。

 原作が永井愛となっていたから、舞台劇だったのだろうが、作中で重要な扱いだった隅田川の花火は、舞台にも出てきていたのだろうか。原作舞台には田中泯の役どころもなかったのではないかという気がした。悪気は少しもないのだが、何気に神崎の部下(加藤ローサ)の肩など叩く木部の鈍感で時流に付いていけてないところがリストラリストに挙がっていた所以なのだろうが、宮藤官九郎は、やはり役者のときのほうが僕の好みだ。

 ともあれ、予想通り荻生牧師の転任で潰えた老いらくの恋の顛末に失意を隠さなかった福江(吉永小百合)が、放蕩とは言えない息子の思い掛けない帰還によって忽ち生気を取り戻す姿に、作品タイトルを思うとともに、その表情に感心した。人間らしい生活を得るのは、存外むずかしくないよと囁いている作品のようにも感じた。おそらく神崎の元に妻の智美が戻って来ることはないのだろうが、舞(永野芽郁)は祖母の恋心に素敵!とはしゃいでいたから、晩春の紀子とは違って不潔、汚らしいなどとは言わないことだろうし、五十六歳だった曾宮よりもずっと若い神崎には、新たな生活がありそうだ。第二ラウンドは、妻が去って行くような放置をきっとしないことだろう。

 花火の件については、映友がラストの花火は『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』でしたね。と寄せてくれ、そうだったのかと思った。…寅次郎恋やつれは僕も観ているものの花火が特に印象に残っているわけではないが、そういうことなら、吉永小百合つながりで映画に出てきたのであって、舞台作品には登場しないのだろう。
by ヤマ

'23. 9.10. TOHOシネマズ5



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