『聖地には蜘蛛が巣を張る』(Holy Spider)
監督 アリ・アッバシ

 イラン映画には撮れないイランを描いた作品として興味深く観たが、映画としての造りには、やや馴染めないものが付き纏ってしまい、残念だった。

 セクハラされたうえに馘首されたらしき女性ジャーナリストのラヒミ(ザール・アミール=エブラヒミ)がフリーなのか移籍記者なのか判然としなかったが、もはや取材の域を超える、身を挺した執念の犯人捜査の動機がどこにあるのか腑に落ちず、彼女から娼婦の連続殺人事件の捜査が進展しない理由を質され、上からも詰められて窮地にあるのだと抗弁していた署長の言い分が、逃げ口上なのか実際にそうだったのか判然としない点もすっきりしなかった。証拠を残さない犯人の知的犯行も理由に挙げていた点からすれば、実際の犯行がまるでそうではなかったので、やはり怠慢捜査だったのだろう。

 チラシの裏面の記載によれば、実在した殺人鬼“スパイダー・キラー”による16人の娼婦連続殺人事件を基にとあるから、不浄の娼婦の連続殺人を支持し、街の“浄化”に貢献したヒーローだとした人々が少なからずいたというのも、おそらく事実なのだろう。さすがイスラム世界というか、聖性に対する信奉者が数多くいるのだろうと思った。何事かを成し遂げたくて犯行に及んでいたという設えの退役軍人である土建労働者サイード(メフディ・バジェスタニ)の軍人後遺症のようなものが不気味だった。彼の妻ファティメが夫の犯行を支持する根底に彼女自身における娼婦蔑視があり、単に男側からの女性差別として現れている事件ではない描き方をしている点が目を惹いた。

 イスラム世界というと女性差別の激しさで知られることから、スパイダー・キラーによる犯行にも宗教色を強く受け取る向きがありそうだが、娼婦連続殺人事件とくると、むしろヴィクトリア期イギリスの切り裂きジャック【ジャック・ザ・リッパー】を想起するところがあって、宗教色というよりもサイードの欲求不満の捌け口のように感じた。

 タイトルに関しては、殺人鬼に冠せられた異名がスパイダー・キラーだったということからすれば、スパイダーとは娼婦になるような気がするけれども、本作の英題であるホーリー・スパイダーが聖なる娼婦を意味しているとは考えにくい。網を張って捕食する蜘蛛のイメージからすれば、本作では、むしろ娼婦を次々に捕えて殺すサイードであったり、殺人犯を網に掛けようとするラヒミだったりするのだが、二人も「聖なる」とのイメージとは程遠い気がする。そういう感じの不得要領が随所に感じられて少々残念だったのだが、サイードの精神が幼い息子のアリにも継承されていることを露わにしているところに、なかなかインパクトのある作品で、なかなか意味深長な邦題が、うまく嵌っていたように思う。



推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20230423
by ヤマ

'23. 9. 9. あたご劇場



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