『皇帝のいない八月』['78]
監督 山本薩夫

 これが『皇帝のいない八月』か。いかにも不得要領のタイトルだったように思うが、副題を「DER KAISER IST NICHT AM AUGUST」とドイツ語にしていたことの意は、何だったのだろう。タイトルのみならず、物語も何とも釈然としないものだった。

 佐橋首相(滝沢修)に嵌められたとしても、党重鎮の大畑剛造(佐分利信)は、佐橋との共謀によってマッチポンプのクーデター計画を仕立てることで、何を得ようとしていたのだろうか。アメリカ政府(軍部)に対するデモンストレーションだとしても、不満を募らせていたと思しき右翼勢力のガス抜きだとしても、そもそもがマッチポンプ計画だとしたら、事が仰々し過ぎる気がしてならなかった。結果的に佐橋や大畑の思惑を超えて、藤崎顕正(渡瀬恒彦)元陸尉の統制力と暴走が優ったのだとしても、真野陸将(鈴木瑞穂)と藤崎は、五年前の未遂事件時に決裂していたようだし、土壇場において佐橋が大畑と直に連絡を取ろうとした様子からは、大畑が裏に回っていた気配もなく、何とも釈然としない舞台回しだった。

 加えて、二二六事件に加わった兄を処刑によって亡くしているという元憲兵の江見自衛隊警務部長(三國連太郎)と藤崎の関係やら、江見の娘で藤崎の妻となっている杏子(吉永小百合)、杏子の元婚約者たる皮革業界誌記者の石森(山本圭)の人物像の不可解さを以て物語の謎とされても、謎というよりは変な人という印象になるし、何よりも藤崎を石森が言うような「狂人」にしてしまっては、彼に従った兵士たちも立つ瀬がないではないかと呆れた。

 憲法改正を唱え国防軍化を求める自衛官たちを狂信的愛国主義集団としてしまっては、せっかく、大畑の元に献金に来る右翼や財界のボスの本音が、防共反共を御題目にした軍事利権が目当ての武器輸出などの画策にあるとしていても、更には、そこに米軍の指示さえあることを内閣調査室室長の利倉(高橋悦史)が疑っている姿まで見せていても、本作における重要な部分が損なわれてしまう気がした。原作小説もこのような代物だったのだろうか。これからすれば、前日に観たばかりのNHKの映像の世紀バタフライエフェクト『GHQの6年8か月 マッカーサーの野望と挫折が、遥かに気が利いているように思った。

 折しも、統一教会が世界平和統一家庭連合に名称変更をして阿漕な金銭収奪に明け暮れ続けていたこととまるで変わらぬような、武器輸出を「防衛装備移転」に呼び名を変えて、長年の国是を反故にして臆面もない利権漁りに転じるや、早々と規制緩和に熱を入れ始め、共同開発国に制限していた輸出先について第三国に対して…直接移転できるようにすることが望ましいなどと政権与党が言い始めていることが先ごろ報じられていた。現憲法の前文に記された国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふなど歯牙にもかける気がなく、邪魔で仕方がないのだろう。憲法改正を唱える勢力の心底に潜む核心は、そこのところにあるような気がしてならない。大畑に利用された愚行の挙句の死に、藤崎らが至っていた姿に投影されていたものがそれであればこそ、藤崎を「狂人」で済ませてしまってはいけないと思わずにいられない。ましてや自衛官を長年務めていた映友によれば実際に行動はしないまでも、ああいう考えの人、本当にいたということだから、尚更のことだ。

 それにしても、吉永小百合に雲仙での青姦場面があったとは驚いた。また、四十五年前のJRがまだ国鉄だった時代の作品だとしても、彼女の演じた杏子や、大畑の愛人を演じて太地喜和子が思いのほか量感の無い胸を垣間見せていた冴子らの女性像が些か古めかしくてならなかった。利倉内調室長の高橋悦史は、どこか肉弾の“敗戦で投げやりになって一升瓶の酒をラッパ飲みしている兵隊”を想起させるところがあって、なかなかよかった。佐橋に一杯食わされていることに気づかされた場面のニュアンス豊かな演技が流石だったように思う。また、滝沢修は、ああいう役どころが実によく似合っていると改めて思った。




参照テクスト:『GHQの6年8か月 マッカーサーの野望と挫折
by ヤマ

'23. 8.23. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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