『銀河鉄道の父』
監督 成島出

 熱心なファンを持ち続ける宮沢賢治の作品をさほど愛好しているわけでもない僕の書棚にも『銀河鉄道の夜』の文庫本が昭和52年第32刷の新潮文庫版と昭和60年第41刷の岩波文庫版童話集の二種類があるし、高校時分に少なからぬ詩人の名を教えてくれた小海永二 編『日本の名詩』(大和書房)に収録されている「永訣の朝」には、目次頁のタイトルに鉛筆で丸印を付けていたりするのだから、やはり父政次郎(役所広司)が言ったように国民的“文士”になったということなのだろう。

 タイトルになっている父以上に、若くして亡くなった妹トシ(森七菜)こそが賢治(菅田将暉)のミューズであったことが鮮烈に描き出されていたように思う。凛とした気丈と早熟で聡明なる知性を体現していた森七菜に感心した。東京の女学校まで進んで郷里の教師になったトシに引き換え、学業もさほど芳しくはなく己が進むべき道に迷っていた青年時代の賢治の厄介さを菅田将暉もよく演じていたが、トシがいなければ賢治が物語を紡ぎ出すことは叶わなかったのではないかと思える妹の存在感をまさに体現していたような気がする。

 だが、賢治が今わの際となった病床の傍らで息子の手帳にしたためていた『雨ニモマケズ』を諳んじてから言ったいい詩だ、賢治!との台詞で画面を一気にさらっていく役所広司は、やはり流石という外なく、折しもカンヌ国際映画祭で日本人二人目の主演男優賞を受賞したことが話題になっているが、改めて大したものだと思った。死期迫り錯乱する祖父(田中泯)に張り手を飛ばしたトシの綺麗に、死ねのインパクトはなかなかのものだったが、役所広司の「いい詩だ、賢治!」には、まだまだ及んでいない気がした。

 また、本作に関して、宮沢賢治の本を僕の倍、保有しているけれども「さほど愛好しているわけでもない」との学友がSNSに…いい家族に恵まれなかったら宮沢賢治はただのバカだった、という話だ。彼の有名な「雨ニモマケズ」の中に「ミンナニデクノボートヨバレ」という1節があるが、まさにデクノボーである。
 こういうのを見ると、親ガチャというのはまんざらウソではない、と思う。家族に限らず、時代背景も含めて環境に恵まれなかったためにデクノボーのまま一生を終えた人が、いかに多いことか。僕が盛んに映画ばかり観ていた1970年代の映画の主人公なんて、そんなのばかりだった。
 『仁義の墓場』『㊙色情めす市場』『青春の蹉跌』『赤ちょうちん』『脱獄広島殺人囚』『アフリカの光』『青春の殺人者』『沖縄やくざ戦争』『十階のモスキート』『天使のはらわた 赤い教室』『狂った果実』『人妻集団暴行致死事件』『丑三つの村』『歓びの喘ぎ 処女を襲う』『さらば愛しき大地』――みんな得体のしれない何かを抱えたまま、悪い方へ悪い方へと堕ちて、破滅していった。
 あのデクノボーたちと、菅田将暉の演じる宮沢賢治と、いったい何処が違うのか。同じデクノボーではないか。あの頃、単なるデクノボーのまま人生を終えた無数の悲しき魂に知らん顔をして、「雨ニモマケズ」に感動する、というのは違うと思う。…
と綴っていた。卓見だと思う。

 そう言えば、エンドロールのつづきを観て想起した祭りの準備も1970年代の映画だ。少々特別な意味合いを伴って強い印象を残している同作における主人公の楯男(江藤潤)も、確かにデクノボーだったことを思い出した。
by ヤマ

'23. 5.30. TOHOシネマズ5



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>