『愛するとき、愛されるとき』['10]
『ザ・緊縛』['84]
監督 瀬々敬久
監督 滝田洋二郎

 先に観た『愛するとき、愛されるとき』は、インパクトのあるオープニングから、妙に生々しい現実感と非現実的な展開のなかで、男も女もろくでもなくどうしようもない言動の数々が映し出されるが、それがろくでなしなり、どうしようもない奴としてではなく、愚かでは済ませられない“人のろくでもなさやどうしようもなさ”として哀しく立ち現れてきたところが目を惹いた。

 短大卒で自動車販売店に勤めて五年になるという二十七歳の佐藤祐子(江澤翠)は、自分のブログにありきたりな毎日ですが、幸せですなどと綴りながら、自ら“変態教師との不倫”と話す妹菜緒(晶エリー)の痴態写真を妹のパソコンを借りた際に偶々見つけ、モザイクを掛けて【魔法の国の国王&魔法使いゆこりん】としてネットの[露出掲示板サイト=『青い森』]に投稿していたわけだが、それには、乳癌で若くして亡くなる直前まで不倫を続けていた母親の淫蕩を継いで奔放な暮らしをし、認知症がかなり来ている六十七歳の父親(志賀廣太郎)の世話を姉に押し付けている妹への苛立ちと羨望が、恐らくはあったのだろう。

 バレないだろうと高を括っていたことがとんでもない事態を招いていることにすっかり自失してしまっている祐子のさまを観ながら呆気に取られていた。彼女に付きまとい露出を強いて写真に撮っていたモンキーパーツこと石井(河合龍之介)にしても、ネットストーカー犯のステロタイプからは掛け離れた、現実感と非現実感の混在した、なかなか興味深い人物造形が施されていたように思う。改めて思うけれども、「ありきたり」とは、いったい何なのだろう。

 この作品は、瀬々敬久監督・脚本による十三年前の映画なのだが、露出掲示板サイトというのは今も健在なのだろうか。閉じられたSNSに移行していそうな気がする一方で、公開してこその露出なのだろうから、愛好者同士だけに閉じては閲覧者の数が限られ、飽き足りなくなりそうにも思う。

 それはともかく、思いのほか面白かったので、共同脚本の佐藤有記が脚本を担った同年の『ヘヴンズ ストーリー』の観逃しを片付けたくなった。また、佐藤祐子を演じていた江澤翠の少し鼻に掛かったような声の調子に惹かれた。


 翌日に観た『ザ・緊縛』は、十五年前のおくりびとでアカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督のピンク映画時代の作品が転がっていたことから、滝田洋二郎監督による幻のSMムービーとの惹句に釣られて、観逃す手はないと視聴してみたものだ。

 タクシドライバーが♪ロッキーのテーマ♪を口笛で吹き、若い女性が万札を振りながらこれで行けるとこまで行ってなどと言っている導入部に、バブリーな時代の作品だと思ったが、彼女のそれはバブリーとは趣を異にするものであることが次第に露わになって来るという設えだった気がする。

 緊縛とのタイトルとは裏腹に、仕掛けの割に緩慢な縛りがいかにもピンク風だったが、透明の密着仮面を装着されて容貌を歪められた女性の場面の縛りには緊縛感があったので、その筋からのモデル出演を得ていたのかもしれない。いかにも裏社会の住人と思しき伊吹(螢雪次朗)からクスリ漬けにされていたアケミ(竹村祐佳)の身体に残る縄目の条痕が妙に生々しかった。

 深夜12:00の文字盤を目にして誂えのハイヒールを残し去って行ったナツミ(西川瀬里奈)のシンデレラもどきの序盤の回収は、それなりにされていたように思うし、画面にも展開にも緊迫感が漂っていたから、さすがは滝田洋二郎だと思った。

 公開時より7分も短いR15版だったが、最も目を惹いた濡れ場が、タクシードライバーの男(中根徹)がスナックのママ(しのざきさとみ)と交わす、緊縛とは無縁の濃厚シーンだったりするところが可笑しかった。それでも、男の三本目の足に“ぴったり合うサイズ”はナツミだったということなのだろう。
by ヤマ

'23. 3. 8. GYAO!配信動画
'23. 3. 9. GYAO!配信動画



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