『浮き雲』(Kauas Pilvet Karkaavat)['96]
『運動靴と赤い金魚』(Children of Heaven)['97]
監督・脚本・編集 アキ・カウリスマキ
監督・脚本 マジッド・マジディ

 今回の課題作は、その身に降りかかる不運にへこたれず、健気に立ち向かう不器用な人々の生き様を応援するような欧亜の同時代作のカップリングだった。大人と子供の姿それぞれという配置の妙も手伝って、文化の違いを超えた原初的な人の特質のようなものを感じた。それは、愚直とも言えるような純朴さだったように思う。その純朴さを描いたドラマの生む感慨をそっけないまでの寡黙さで語る作品と過剰なまでの畳み掛けで語る作品という、対照的でありながら、ともにユーモアを湛えた語り口の残す味わいもまた興味深かった。

 先に観た『浮き雲』は、二十六年前にスクリーン観賞して以来となる再見作品だ。アキ・カウリスマキ作品を最初に観たのは、'91年の『マッチ工場の少女』['90]で、その暗さに恐れ入ったものだが、得も言われぬ緊張感のある画面に観入った覚えがある。そして、最後に観たのは、五年前の『希望のかなた』['17]だが、七年前には県立美術館が、フィンランドの名匠「アキ・カウリスマキ監督特集~社会の底辺に生きる人々の人間性回復力~」と題する特集上映を行なっている。

 オープニングのカサブランカを思わせるようなピアノの弾き語りからしてそうだが、唄を聴かせる場面がなかなかよく、全長100分足らずの割には、しっかり時間を取っていたように思う。

 支配人も給仕長も女性が務める老舗レストラン「ドゥブロヴニク」が突如として閉店を余儀なくされたことで、先ごろリストラにあったばかりの夫ラウリ(カリ・ヴァーナネン)ともども失職したイロナ・コポネン(カティ・オウティネン)が不運の連打に見舞われる話だが、久しぶりに観るカウリスマキ作品は、アキ・カラーとも呼びたくなるような色合いが、妙に懐かしく心地好かった。とりわけ青の深さと緑色の渋さが印象深い。

 不況下なのに、家具のローンが終わらぬうちにリモコン操作のカラーテレビをローンで買ってきて自慢げに妻に披露するラウリは、カッコつけたがりの見栄っ張りで、痛めつけられた顔を妻に見せたくなくて、失業中なのに傷が癒えるまでホテル暮らしを重ねるような男だが、無骨ながらなかなか誠実で、腹も据わっていたように思う。

 安食堂の時給が40マルカでの職業斡旋手数料が500マルカなら、ボッタクリとは言えないように思うが、イロナが食堂の開業資金に見積もった14万3000マルカというのは、いったいいくらに相当するのだろう。かなり草臥れた感じのビュイックの中古車売却額は、8000マルカだったように思う。その8000マルカを元手にカジノで資金作りをしようとしてすっからかんになるわけだが、リストラの4人を決めるのにトランプカードをでクラブの3を引いてしまうようなラウリが一攫千金できようはずがなく、やはり最後にツキを呼び寄せるのはイロナということになるのは相場としたものだろう。

 それはともかく、テレビニュースでその処刑が告げられていたナイジェリアの人権活動家サロ・ウィワのことは何も知らずにいるが、著名な人物なのだろうか。


 翌々日に観た『運動靴と赤い金魚』も、二十三年前にスクリーン観賞したっきりの再見だったが、前回観たときに「むろん悪くはないけれども、妙にあざといというか、これでもかという運びと演出に少々興醒める部分を感じた覚え」があったのだけれども、その点では、もう少し僕が大らかに観られるようになっていることを自覚した。ちょうどアリ(ミル=ファロク・ハシェミアン)、ザーラ(バハレ・セッデキ)兄妹と似たような年頃の孫たちを持つ身になっているせいなのかもしれない。

 それでも、垂れ眉の不運顔が似合う涙目の9歳の少年アリのクローズアップが頻出するのには、少々閉口した。運動靴一つなかなか買ってもらえそうにない貧しさと、ブランコや遊具が広い庭に置いてある金持ちの暮らしぶりの対照も極端で、それが現実世界であったにしても、観ていて遣り切れない感じのほうが強く湧く。最後のマラソンレースでの妨害による転倒なども蛇足のように感じた。中盤でのひたすら路地を走るアリとザーラの姿を捉えていたショットの繰り返しの美しさを艶消しにしているような盛り上げ方を、スローモーションなどまで使ってする必要は全くないように感じる。ただ全般的にカメラワーク自体は非常に流麗で、だからこそ惜しいというか勿体ない気持ちが湧くのだろうとも思った。

 ともあれ、不用意な場所に置いて妹の靴を失ってしまったからこそ、脚が速くなったようにも思えるアリに、最後は果報が待っていることの顛末の形は、悪くないつけ方だったようには思う。それにしても、賞品の運動靴がなぜ文房具より下の3等だったのだろうなどと思っていると、課題作選者から「きっと金の文房具だったのでしょう。金の下敷き、金の筆箱、金の鉛筆、金のランドセル、金の消しゴムとか💰」と寄せられたのが可笑しかった。

 金好みの秀吉でもあるまいし、それは、劇中に出てきたザーラが落して失くしてしまった兄から貰ったシャープペンシルくらいのものではないかと思うが、それにしたところで、メッキまでもいかない真鍮製に違いない。いずれにしても、1等の運動着と3等の運動靴の間になる賞品の文房具というのが、妙に気になった。


 合評会では、明らかに『浮き雲』のほうが優れていると感じるという僕のほか、『浮き雲』は性に合わないという意見から、甲乙付け難く両作とも強く支持するという意見、コミットしやすいのは『運動靴と赤い金魚』のほうだと、それぞれバラバラの評価となった。カウリスマキのスタイルに馴染んでくれば、もっと楽しめそうに思うとの声があったように、彼が文体(スタイル)の作家であるのは、間違いないような気がする。

 また、『浮き雲』でリモコンスイッチのテレビが贅沢品のように出て来たことについて、時代設定はいつだったのだろうという意見が出た。'70年代のようにも感じるということだったが、サロ・ウィワが処刑された日を調べてみたら、1995年だったから、映画の制作時と同時代を描いていたことになるわけだ。
by ヤマ

'23.10.12,14. DVD観賞



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