『アステロイド・シティ』(Asteroid City)
監督・脚本 ウェス・アンダーソン

 昨年フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊を観た際にこういう作品が高知でも掛かるくらいに、ウェス・アンダーソンはメジャーになっているのかと不思議な気がしたと記したが、本作もまた思いのほか、客足があって驚いた。平日の日中なのに、世代的にも性別にも偏在が見られない。

 それにしても、人口87人なのにガソリンスタンドも公衆電話ボックスもあるという架空の町アステロイド・シティ(小惑星都市と訳されていた気がする)を、壮大なセットで組みながら思いっきり書割り感を前面に出して、作り物を強調したうえで、更には演劇作品だと冒頭で念まで押して、1955年のアメリカを描こうとした作り手の意図は、何だったのだろう。

 ネバダ核実験場と思しき遠方でのキノコ雲で始まり、キノコ雲で終わる本作を観ながら、奇しくも放射線を浴びた[X年後]Ⅲ Silent Fallout 乳歯が語る大陸汚染を観たばかりで、アメリカ国内でも核実験をしていたことを知る人が今やアメリカでも少なくなってきていると、伊東監督が話していたのを聞いていただけに、驚いた。

 墜落したUFOを米軍が回収して隠したということで話題になったロズウェル事件は、1947年だから、敢えて1955年とした時期にUFO絡みで何かあったのだろうか。思えば、昨夏の“佐藤健寿 展 奇界/世界”でも観たエリア51があるのもネバダ州だ。

 ともあれ、第二次アメリカン・ゴールデンエイジとも言われる'50年代を描きたかったことはよく分かったけれども、核心は何だったのだろう。華やかさの裏にある影と政府の隠蔽体質という部分は、けっこうウェイトがありそうな気がする。

 ウェス・アンダーソン映画には、独特のとぼけた可笑しさがあって、妙にシニカルで面白い。画面の先がまるで読めないのに、サプライズというほどの意表の突かれ方もしない緩さに味があるように思う。そのうえで、緩いくせに画面のほうは凝りまくっていて、些かの緩みもなかったりする塩梅が気に入っていて、ついつい観逃せない気になる。
by ヤマ

'23. 9. 6. TOHOシネマズ1



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