『夜明けの祈り』(Les Innocentes)['16]
監督 アンヌ・フォンテーヌ

 実話に基づくとのクレジットで始まった本作は、1945年の冬のポーランドだったから、終戦後のことになるわけだが、戦争末期にポーランドに進駐してきたソ連軍兵士によって修道院が三度に渡って襲われ、凌辱された修道女たちのうち八人もがいちどきに妊娠してしまい、臨月を迎えて苦境に陥っているという、何とも陰惨な話だった。最後に仏赤十字の女性医師マチルド・ボリュー(ルー・ドゥ・ラージュ)が思いついた孤児院のアイデアというのは、言われてみれば何故それを思いつかなかったのだろうと、おそらく修道院長マザー・オレスカ(アガタ・クレシャ)も思ったに違いない。さすがはソ連兵の捜索に対して、チフスを騙った咄嗟の機転で躱しただけのことはあると、大いに感心した。修道院だけに閉じた発想の行き詰まりからは、思いも浮かばなかったであろう機転に、きっと修道院長は雷に打たれたような衝撃を覚えたことだろう。

 だからこそ、恥と不名誉から守るために道を誤ってしまったと告白したのだろうが、過酷な状況のなかで孤独な決断を迫られて行っていた判断に対しては是非もない気がした。その罪深さは、彼女自身が深い苦悩の挙句に、覚悟して負ったものであることが仄めかされていたように思う。

 そもそも被害を被ったほうに恥と不名誉を負わせることが、理不尽なのだ。悪いのは修道院長ではなく、修道院を襲って凌辱を重ねたソ連軍兵士であり、更に言えば、性犯罪が戦争には付き物となることの避け難い兵隊の有り体からすれば、利権や政治的面子のために戦争を引き起こした者が一番悪いに決まっている。集団で修道院を凌辱のために繰り返し襲うなどということは、平時に行えるはずがない。また、戦争終結によってピタッと止まるものでもないことを、ソ連兵の敷いた検問でマチルドが複数兵士から襲われながらも、その蛮行に気づいた上官の制止で辛くも難を逃れる場面によって示していた。戦争のもたらす荒みは、終戦後も続いているというわけだ。

 しかし、誰が悪いと断じたところで、彼女たちが負った心身の痛みは癒されず、信仰者における宗教でも、マチルドがコミットしていた共産主義でも、人間は救われない。シスター・マリア(アガタ・ブゼク)が帰国したマチルドに送った手紙のなかで、貴女にとっては心外かもしれないけれど、貴女は神が遣わしてくれたと思っていると綴っていたが、マチルドが行ったことは、信仰でも社会運動でもない、観念性とは無縁の実践的な取り組みばかりだった




推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962030176&owner_id=1095496
by ヤマ

'23. 7.11. BS松竹東急よる8銀座録画



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