『君は放課後インソムニア』
『父ちゃんのポーが聞える』['71]
監督 池田千尋
監督 石田勝心

 心室が一つ足りない心臓によって入退院を繰り返す女子高生を森七菜が演じた劇場公開中の映画を観た折から、ふと思い立ち、半世紀余り前に一世を風靡して、漫画『ど根性ガエル』にもその名の登場していた吉沢京子が難病ハンチントン舞踏病を発症した女子高生を演じる、実話をもとにした作品を続けて観ることにした。

 先に観た『君は放課後インソムニア』は、女子高生の曲伊咲を演じても、まだ違和感を少しも覚えさせない森七菜がキラキラしていた。どこをとっても今どきの映画で、僕が高校生だった'70年代とは若者像がまるで違うように感じて感慨深かった。

 心の傷を抱えてインソムニアに苦しんでいる若者たちがブレイクスルーを得ていく物語なのだが、登場する若者たち皆々の余りの行儀の良さに呆気にとられた。伊咲に恋する中見丸太(奥平大兼)のみならず、二人を取り巻く友人たちも含めて対人関係の取り方が実にディーセントな程の良さで、思い過ごしも思い込みもなく、浅からず踏み込み過ぎず、恐れ入った。若者たちがそうだから、皆人そろって大人の側も至って物分かりがいい。それでも、二人は不眠症なのだ。なにやら啓発映画めいた人物造形なのだが、その造形に作り物感よりも、今どき感のほうが強く感じられたことが興味深かった。

 朝御飯の用意だけして自分が寝ている間に母親が家を出て行った責は自分にあると思っていて、安らかに眠ることができなくなっていると思しき丸太が、それゆえに父親(萩原聖人)の言う我がまま一つ言わない子になっていることと、前夜に三十六年ぶりに再見したばかりの愛は静けさの中に['86]のサラ(マーリー・マトリン)が抱えていた遣り場のない怒りとの、違いの大きさに愕然とする。それは、必ずしも時代の差によるものではなく、実のところは、残された親がどういうスタンスで子供に向かったかということのほうが大きいのだが、僕が興味深く感じたのは、物語の主人公のキャラクターとして、どちらが要請される時代なのかという意味での時代の差だということだ。僕が若いころの物語においては、丸太に用はなかったような気がする。

 同様に、心安らぐ寝場所のない丸太と伊咲が「居場所」として求めた天文部の顧問の先生も、頼りになる先輩も、ともに女性であることも、いかにも今どきだ。程よい距離感で見守ってくれるのが養護教員の倉敷先生(桜井ユキ)なのはまだしも、五年前に写真コンクールで賞を獲得して天文部の存続を一人で守った白丸先輩(萩原みのり)は、かつてなら間違いなく男性キャラだったはずだと感じるような人物造形だった。

 そして、なにより今どき映画だと思ったのは、そのエンディングだった。ここで終わるのかとのラストシーンの後、エンドロールのなかで8月の雨天中止から再度、挑戦することにした天体観望会に取り組む様子が映し出され、そのなかに伊咲が10月22日開催のポスターを貼り出している一枚を添えて、ラストシーン後の顛末を伝えているのにもかかわらず、更に加えて、エンドロール後に、ブレイクスルーを果たしたと思しき丸太と伊咲が手を繋いでやりたいことがありすぎる~!と叫びながら駆け出す、ダメ押しをさらに詰めるような蛇足のハッピーエンドシーンが添えられていた。作り手としては不本意ながら、製作サイドから要請された付加シーンなのだろう。

 それはともかく、自分がいると何もかもうまくいかなくなると打ちひしがれる丸太に伊咲が自分の心臓の鼓動を聴かせる場面と、丸太の背に耳を当てて心臓の鼓動を聴く場面がよかった。二人が出会った当初から伊咲が丸太に見せる振る舞いについては、時代の違いを越えた普遍性があって、それが無意識の誘いなのか、ただの自己表出なのか、本人すら自覚していないタチの悪さに少年たちは皆、悩み苦しむのだと微苦笑しながら観た。あの無頓着さは罪というほかないけれども、さればこそ、力をも与え得るわけだ。それがなければ、二人にブレイクスルーは訪れなかったはずだ。


 翌日に観た『父ちゃんのポーが聞える』は、JRになる前の国鉄で、'75年までに蒸気機関車を廃止させるから、管理職登用試験を受けるか電車操縦技能を習得するかを迫られる運転士杉本隆(小林桂樹)の娘則子を吉沢京子が演じる、実在した松本則子の遺稿を原作とした映画で、行川アイランドでのポリネシアショーが人気を得、「おぬしやるな」や「これでいいのだ」が流行し、少女も口にしていた時代の作品だ。外傷を負うと、とにかく赤チンを塗るのが家庭内処方だったことが懐かしい。

 則子が恋心を抑えて兄と慕う、絵画ボランティア・リーダーのパン職人吉川道夫(佐々木勝彦)が車椅子の則子を散歩に連れ出し、里山の公園でギターを爪弾き歌ってみせる光景がいかにも当時を偲ばせ、パン造り修行に上京する道夫に、娘に便りを出してやるよう隆が頼む際に、路端であっても立ち話で済ませられないとばかりに、しゃがんで腰を落ち着けて話を始める姿に、時代の風俗を感じた。

 脚が動かなくなり、手が動かなくなって、遂には唇も動かせなくなっていた則子は、舞踏病というよりも、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のように感じた。病気が進行し、面やつれし、青白くなった則子のアップが何とも痛ましく美しく、ドキッとした。彼女が発症し始めた頃に再婚した父が、初江(司葉子)との間にもうけた異母弟がそれなりに大きくなっていたから、けっこう長い闘病生活だったようだ。

 則子が亡くなり、もう「父ちゃんのポー」を聴くこともできなくなっているのに、相棒の釜焚き丸山源太郎(藤岡琢也)に促されて、隆が追悼の汽笛を鳴らすラストの場面が、いかにも定番の締めながら、なかなかよかった。
by ヤマ

'23. 7.13. TOHOシネマズ2
'23. 7.14. 日本映画専門チャンネル録画



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