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『復讐の荒野』(The Furies)['50] 『不死身の保安官』(The Sheriff Of Fractured Jaw)['58] | |||||
監督 アンソニー・マン 監督 ラオール・ウォルシュ | |||||
'50年代の異色西部劇を二つ観た。 先に観た『復讐の荒野』は、1870年代のニューメキシコを舞台に、まるで邦画の『華麗なる一族』ばりに強烈なキャラクターの資産家父娘の愛憎を描き出した異色の西部劇で、すっかり驚いた。主だった登場人物に共通していたのが理不尽なまでの誇り高さで、目先の損得や愛憎などそっちのけで、善悪を超えた強烈な個性を放っていたように思う。どうしてこれだけハチャメチャな運びを「なんじゃこりゃ」と思わせないのかと言えば、やはり演じた俳優の力量に負うところが大きいのだろう。 娘のバンス・ジェフォーズを演じたバーバラ・スタンウィック以上に、個人紙幣を通貨として流通させていた父T・C・ジェフォーズを演じていたウォルター・ヒューストンがお見事だったように思うが、キャラクター的に気に入ったのは、バンスから心寄せられ惹かれつつも袖にして、屈辱を味わわせていたリップ・ダロー(ウェンデル・コーリー)と、T・Cをたらし込んで再婚に漕ぎつけていたバーネット夫人(ジュディス・アンダーソン)、エレラ家の魔女と呼ばれ、300m先の鳩をも正確に撃ち落とすとされていたメキシカン・ビッグ・ママ(ブランシュ・ユルカ)だった。 それにしても、七十三年も前の映画で、これだけ強烈な女性キャラクターを造形して並べ立てている作品があったとは、まったく恐れ入った。原作もののようだが、原作小説でもそのような人物造形がされているのだろうか。 八年後の『不死身の保安官』もまた、かなりの異色西部劇だったような気がする。ラオール・ウォルシュ監督の西部劇は『決斗!一対三』['52]にしても『追跡』['47]にしても、なんとも風変わりなものだったが、本作もまた西部劇とは凡そ懸け離れた英国のティータイム場面から始まり、武器製造販売のティブス商会の跡取りジョナサン(ケネス・モア)が自動車開発に勤しむ姿が、コメディ調で描き出される。 時は無法者ジェシー・ジェームズの悪評が遠く英国にまで知れ渡っている頃合いで、業績不振の立て直しにアメリカ西部の市場に目を付けたジョナサンが銃器の販売に出張するなかで出くわすカルチャーギャップが、思わぬ奏効を果たすというオトボケ西部劇だ。 西部開拓地での常識を全くわきまえていないジョナサンが、常識外れの英国紳士的な振る舞いをすることによって、駅馬車を襲撃してきた先住民族や酒場で絡んできた名うてのガンマンを退けたことが評価され、マスターズ町長(ヘンリー・ハル)から保安官の任命を受けてしまう物語だ。アメリカ西部の地の種々の人々とのいささか頓珍漢なやり取りがおかしいのだが、字幕ではニュアンス的な部分までは掴み切れなかった。おそらくは英語と米語における慣用表現や俗語表現のずれでうまく言葉が疎通しないことでの可笑しさがあるのだろう。 商売との兼業を条件に名誉職の乗りで保安官を受けたようなジョナサンが、折から町を二分する激しい勢力争いをしている牧場主を目当てに銃の販売に出向いてまたもや先住民に襲われ、あわや処刑されかかったところで因縁の族長からも、実は単なる非常識でしかない大胆な行動を勇者と勘違いされ、族長と親子の契りを結んで無事生還したりしたことがますます「不死身の保安官」として名を挙げたりするのだが、西部開拓地では非常識以外の何物でもない、先住民への銃器販売が、結果的には、誰の血も流さない形で牧場主の抗争をも収め、町一番の美人でホテルも経営する歌姫で顔役でもあるケイト(ジェーン・マンスフィールド)のハートを射止めて、二人の結婚式に抗争していた牧場主一味や先住民たちも参列する大団円を迎えていたことに唖然とさせられた。僕が生まれた年の作品だが、こんな西部劇もあったのかと驚いた。さすが '50年代作品、アメリカのゴールデンエイジとされるに相応しい楽天さがいい。 また、これがかのジェーン・マンスフィールドかと、本作に二年先立つ『バス停留所』のマリリンを彷彿させるジェーンの艶姿に見惚れた。凄い迫力のダイナマイトボディで、コメディエンヌとしてもなかなかいけそうで、名のみぞ知る『女はそれを我慢できない』を是非とも観たくなった。 | |||||
by ヤマ '23. 6.14. BSプレミアム録画 '23. 7.11. BSプレミアム録画 | |||||
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