『恋をしましょう』(Let's Make Love)['60]
監督 ジョージ・キューカー

 地元の映友がマリリンの魅力の全てが記されているような映画と綴っていた作品を録画してあったのを見つけて、さっそく観てみた。折しも不死身の保安官['58]を観て、ジェーン・マンスフィールドの演じたショーガールのステージに魅せられたばかりだったので、早々に現れたアマンダ・デルソン(マリリン・モンロー)のステージに圧倒された。

 ショーガールとしての魅力は、その表情の豊かさ、身のこなし、いずれをとっても断然マリリン・モンローのほうが目を惹く。聞くところによると『不死身の保安官』では、コニー・フランシスがジェーンの歌を吹き替えていたそうで、マリリンは歌唱も自分でこなしているようだから、ショーガールとしての格が違うわけだ。天井からポールを伝って舞い降りてきたアマンダのステージを観て、恋多きモテ男で名を馳せた大富豪ジャン=マルク・クレマン(イヴ・モンタン)が、まるで天女が舞い降りてきたように魅せられたのもむべなるかなのショーだった。

 それにしても『Let's Make Love』とは凄いタイトルだなと思ったら、さすがに劇中劇のタイトルであるという体裁をとっていた。そのリハーサル舞台での♪Let's Make Love♪を歌う場面を観て悩殺され、陶然としているクレマンの姿が可笑しかったが、彼の好むジョークに関しては、『不死身の保安官』ではないが、どうしてもカルチャー・ギャップが壁となって、どれもその可笑しさがピンと来なかった。

 映友も記していたように、まさにマリリンの魅力が溢れんばかりの作品だったように思う。踊るし、歌うし、様々な表情を見せてくれるし、何よりもアマンダの素直な気立ての好さを体現しているところが素敵だ。劇場からアマンダの暮らす教会までの近場のタクシー代が15セントの時代に、10億ドルの資産を有して欧米で幾つもの会社を経営している大富豪が、金持ちであることを知られずにアマンダの心を射止めようと、自身のステージ力をあげるために受ける個人教授も桁違いで、系列放送局の放送作家から新作ジョークを1000ドルで買い、人気コメディアンや大物歌手、ダンサーを金に飽かせて呼びつけながらも、あくまでアマンダには富豪であることを知られまいとする姿や、社の広報担当者アレクサンダー・コフマン(トニー・ランドール)に本音を告げる場面を好もしく観た。

 素性も明かさずに口説くことをアマンダから咎められて、アレクサンダー・デュマは偽名で本当はジャン=マルク・クレマンだと言っても信用されずに、ますます不興を買うくだりがミソなのだが、見掛けや名に左右されない“人の正体”としての核心となるものは何なのだろうと思わせる部分をちらりと覗かせつつ、決して深入りはしないところがエンタメとしての面目だという気がする。

 人気コメディアンのミルトン・バールというのは知らなかったけれども、ビング・クロスビーやジーン・ケリーなら、僕が観ても察しが付くくらいによく似ていた。劇中劇の『Let's Make Love』で歌う♪有名人♪でステージネタにされていたマリア・カラスやプレスリーがそっくりさんで、その有名人の一人としてクレマン当人がそっくりさんを装ってアマンダとステージを共にすることになっている話だったから、ビング・クロスビーやジーン・ケリーもそっくりさんだったのかもしれない。オープニング・クレジットには、その名が記されていなかった。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5797453163687552/
by ヤマ

'23. 7.11. BSプレミアム録画



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