『マイ・ライフ』(My Life)['93]
監督 ブルース・ジョエル・ルービン

 先ごろ『ワース 命の値段』をスクリーン観賞したばかりのマイケル・キートンの三十年前の作品だ。この時分のニコール・キッドマンは、実に好いと観惚れていた。

 '63年にミシガン州デトロイトで小学低学年だったと思しき、空想癖のある夢見る少年ボビーは、僕とほぼ同年輩であるばかりか、幼時のロシア系であるイワノヴィッチとのファミリーネームを長じてジョーンズに変えていて、小学四年から姓が変わった僕からすれば親近感が湧いたのだけれども、三十年後に年収25万ドルのプランナーとして成功していて、自分とはかなり境遇が違っている。加えて、それ以上に大きな運命の違いがあって、彼は末期癌によって余命幾許もなく、妊娠中の妻ゲイル(ニコール・キッドマン)の出産にも間に合わないと宣告されていた。

 中国系の整体師からの助言によって未解決の宿題を片付けるべく三十年ぶりに幼馴染を訪ねたり、幼時に住んでいた家を訪ねたりして、封印していた過去の記憶を取り戻そうとしている姿にコキーユ 貝殻を想起したりしたのだが、昔住んでいた家に隠してあった、三十年前のパラシュート兵の玩具を取り出し、宙に投げ上げて傘が開いて降りてくる軟着陸のイメージが、これからのボブことロバート・ジョーンズ(マイケル・キートン)の求めている姿として映って来て、なかなか印象深かった。

 ニコール・キッドマンの演じたゲイルの特に気に入った場面は、息子ブライアンが生まれるまで奇跡的に生き長らえたボブが何気に笑う赤ん坊に対して、ベンツを手に入れたわけでもないのになぜ笑うのだろうと言った際に、生きていることが嬉しいのよといった場面と、ボブが幼時に乗って恐怖を覚えて以来避けていたジェットコースターに、『炎のランナー』のテーマ曲とともに三十年ぶりの挑戦を果たして降りてきた際にマイ・ヒーローと呟き、静かに抱き合っていた場面の表情だった。

 ボブが息子に残すために撮ったビデオカメラに向かって言っていた死はつらいが、生の意味を学べるとの言葉を実感する苦境に僕が見舞われたことはないけれども、死に拠らずとも、生の意味を学べるのが映画の良いところだと改めて思った。
by ヤマ

'23. 3.19. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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