『大怪獣のあとしまつ』
監督・脚本 三木聡

 これまでに『転々』『インスタント沼』『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』を観て、波長の合ったことがない三木作品ながら、タイトルからして少々気になっていた映画だ。きっとヘンな映画なのだろうと思っていたが、意外とまともで随所に素っ頓狂な笑いと風刺が施されていた気がする。こういう映画だったのかと失笑しつつ、かなり面白く観た。1958年生まれの僕は、'60年代を少年時代として過ごしているから、ゴジラにしてもウルトラマンにしてもガメラにしても、ちょっと特別な存在だ。

 庵野秀明が総監督を務めたシン・ゴジラも感心しつつ面白く観たが、好みから言えば、妙に生真面目に撮った庵野作品よりも、本作のほうが好きかもしれない。十八年前に観た快作東京原発』(監督・脚本 山川元)に通じるセンスを感じるユーモアと揶揄に彩られた政府対応を観ながら、六年前に『シン・ゴジラ』を観たときに、政府の描き方が少し気に食わなかったことを思い出した。妙に官僚に阿ったところがあるように感じたのだった。

 映画で政府の提灯を持つのは筋違いだとの思いが本作の製作動機の第一にあったのではないかという気がした。『シン・ゴジラ』の内閣官房副長官(長谷川博己)や総理大臣補佐官(竹野内豊)の真っ直ぐな凛々しさと対照的な本作の総理秘書官雨音正彦(濱田岳)の小賢しく姑息な胡散臭さ以上に鮮やかだったのが、花森防衛大臣(余貴美子)と本作の蓮佛環境大臣(ふせえり)の対照だったような気がする。また、漫画的な有無を言わさないキャラ造形によっていた米国大統領特使カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)と環境大臣秘書雨音ユキノ(土屋太鳳)の対照も面白かった。『シン・ゴジラ』のほうでコミカルな味付けがされていたキャラクターについて、本作では敢えて至ってシリアスに造形して、彼女に設定されたシチュエイションそのものがコミカルという感じにしていたように思う。

 神々しいまでの紫色の光を放つことへの対照がこの世のものとは思えない腐臭を伴った腐敗ガスだというのも実に可笑しかった。むろん尤もらしいのは腐敗ガスに決まっている。悉く『シン・ゴジラ』への逆回答によって構成していたと思しき本作ながら、現場実働部隊に対する揶揄は両作ともになかったような気がする点にも好感を抱いた。

 世評は至って芳しくないらしいのだが、何故なのだろう。とても不思議な気がする。世の中全体の空気がそうなってきているように、映画の観られ方も、何だかやけに硬直してきているようだ。どうもバランスが悪くなってきている気がして仕方がない。大事な問題に対してはひどく鈍感になり、些事に対して変に偏った是非の眼を向ける傾向が強くなっているように思う。大怪獣ならぬ政治家の政治活動の“腐敗”よりも私的な“不倫”のほうが社会問題として大きく取り上げられる風潮というのは、どう考えてもおかしな事態だという気がしてならない。どちらの腐臭を強烈に感じるかのセンサーが狂ってきているように感じる。




推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2022/02/post-b30fd0.html
by ヤマ

'22. 3. 1. TOHOシネマズ1



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