『燃える平原児』(Flaming Star)['60]
『馬上の二人』(Two Rode Together)['61]
『折れた槍』(Broken Lance)['54]
監督 ドン・シーゲル
監督 ジョン・フォード
監督 エドワード・ドミトリク

 続けて観た西部劇が奇しくも先住民との間の複雑な関係を描いた異色作だった。先に観たのは、これが、かのプレスリーによる西部劇か、との思いとともに観賞した『燃える平原児』

 やや観慣れないスラリとしたプレスリーがギターを弾きながら歌う場面で始まったので、なんだか裕次郎映画みたいだなと思っていたら、とんでもない、なかなか硬派な作品だった。プレスリーが先住民とのハーフを演じることは知っていたが、このような引き裂かれ物語だとは思っていなかったので、かなり驚いた。

 彼の演じたペイサー・バートンの異母兄クリント(スティーヴ・フォレスト)がなかなかの好漢で、その婚約者ロズリン(バーバラ・イーデン)の凛とした美しさが目を惹いたけれども、やはり一番はペイサーの母ネディ(ドロレス・デル・リオ)だったように思う。原題の「燃えるように輝く星」というのは、カイオワ族が自分の死期が迫ったことを知るときに観るものらしく、象が墓場に向かうように、ネディもペイサーも独り死地に赴いていた。

 それにしても、一家皆殺しにされたはずのハワード家のウィルが瀕死で生き残っていなければ、バートン家の悲劇は凌げたのだろうか。ペイサーの叔父から族長を引き継いだバッファロー・ホーンの危機感からすれば、衝突は避けられなかったわけだから、バートン家だけが我関せずで中立を維持するのは、やはり難しかったのかもしれない。


 翌年の作品となる『馬上の二人』には、少々釈然としない展開や無理を感じながらも、本作の五年前に同じジョン・フォードが撮った捜索者['56]よりもグッと社会性を加味した仕立てに感心した。

 十年近く前にコマンチ族に拉致された白人の奪還交渉を託された保安官のガスリー・マケーブ(ジェームズ・スチュアート)が旧知のジム・ゲイリー中尉(リチャード・ウィドマーク)を同行させたくなかったのは、コマンチ族の長クアナ(ヘンリー・ブランドン)との交渉が英語でいけることを知られたくなかったからかと笑わされる、些か山師の過ぎるガスリーの人物像が興味深かった。そこにも明示されていたように、単純な善悪正邪は問えないという現実観の窺える、当時のハリウッド的には異色を感じる作品で、なかなかに観応えがあった。

 そもそもガスリーが交渉を引き受けた理由が奮っていて、懇意にしていた酒場の女主人ベル・アラゴン(アネル・ヘイズ)との仲のほとぼりを冷ますべく出稼ぎにコマンチ族へと赴くわけだが、もう今さら戻って難儀をしたくないと拒む既に老いたクレッグ牧師夫人のハンナや、戻って奇異と差別の眼に晒されることに躊躇いを見せるエレナ(リンダ・クリスタル)、二歳のときに拉致されたまますっかり部族の女性として育ち、予想されたとおり十代半ばにして二児の母になっていて連れ戻るに忍びないと残していくワケナと呼ばれている少女、族長から銃器との交換のために帰還を命じられながらも部族を離れるのが嫌でたまらない少年兵士ウルフを描き、拉致の罪深さと歳月の取り返しのつかなさが強調されていた。

 また、こういうふうにして武器が流通するのだなという単純な金儲けだけではない面や、協定を結んでいるから軍として動くわけにはいかないとガスリーを呼び寄せ、民間交渉によって人々の熱烈な奪還要請に対応しようとする軍の司令官フレイザー少佐(ジョン・マッキンタイア)を描き出したうえで、彼に人は神にはなれぬと、拉致被害者を取り戻せたところで単純に問題解決にはならないとの思いを表白させていたのが目を惹いた。

 案の定、英語を解せなくなっていたウルフ少年は、生母を名乗り出た女性が彼の伸ばして結んだ髪を切り取ろうとした意を解せず、鋏を奪い取って刺殺したために、群衆裁判に掛けられて吊るし首にされるのだが、八歳で拉致される前に執心していたオルゴールの音色を聴いてマイン、マインと英語で叫び、ジムと婚約したマーティ(シャーリー・ジョーンズ)には生き別れた弟だと判明しながら、為す術もないままに処刑されていた。そのようななか、ガスリーから背負って生きていくしかない、何のためにめかし込んできた、負けるな!と社交の場に連れ出されてきたエレナが、偏見と忌避を露わにする人々に向って勇気を奮って堂々たる演説をする姿が見事だった。

 我が国の抱えている、北朝鮮による日本人拉致事件にも通じる問題を描き出している六十一年前の映画に、大いに感心した。


 その次に観た『折れた槍』は、観たばかりの『燃える平原児』に六年先駆けた作品で、家族構成がそっくりだったことに驚いた。その点では、なんだか長兄ベン・デブロー(リチャード・ウィドマーク)が妙に気の毒に思える筋立てになっていて、後年の『燃える平原児』での異母兄クリントが好漢だったのは本作のベンへの手向けのような気がしなくもないほどだった。

 マットことマシュー・デブロー(スペンサー・トレイシー)が、後妻に迎えたセニョーラと呼ばれる先住民女性(ケティ・フラド)の忠告を聞き入れて、先妻の子供たち三人に配慮を加えていれば、マイクやデニーはともかく、ベンについては、例えば大いなる西部['58]のルーファス・ヘネシーの息子や、ガンヒルの決斗['59]のクレイグ・ベルデンの息子とは違って、異母弟のジョー(ロバート・ワグナー)に対して、『燃える平原児』のクリントほどではないにしても、それなりの関係が結べていた気がしてならなかった。

 かたやマットが後押しをして知事にしたホレス(E・G・マーシャル)の娘バーバラ(ジーン・ピーターズ)の聡明で気丈な美しさは、少々出来過ぎながら、あまり味の好くない話に清涼感を与えていたような気がする。

 それにしても、オープニングとラストを飾っていた狼は、何を象徴していたのだろう。見境なく貪るコヨーテと違い、空腹時に必要なだけしか牛を襲わないと劇中で語られていた狼を孤高の一匹狼として映し出していた以上、最後にバーバラと連れ立って町を出ていたジョーではないとなれば、どう解したものだろう。




『燃える平原児』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/4974569379309272
by ヤマ

'22. 9.19. BSプレミアム録画
'22. 9.23. BSプレミアム録画
'22. 9.25. BSプレミアム録画



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