『ラスト・ショー』(The Last Picture Show)['71]
『ヤング・ゼネレーション』(Breaking Away)['79]
監督・脚本 ピーター・ボグダノヴィッチ
監督 ピーター・イエーツ

 高校時分の映画部の部長が主宰する“映画青春プレイバック”の今回の課題作は、まさしく青春を描いた二作品だった。先に観たのは、これまで未見だった映画だ。これがボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』かと、タイトルはラスト・ショーながらの初体験物語を観て、ようやく十代時分からの宿題を果たすことができた。当時、十代で観ていたら、どのように感じたのだろう、想像がつかない。若い時分に観た『卒業』['67]で印象に残ったのが、エレイン(キャサリン・ロス)よりもミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)だったように、本作でもジェイシー(シビル・シェパード)よりルース(クロリス・リーチマン)だったり、ジェイシーの母ロイス(エレン・バースティン)だったりしたのだろうか。

 今回、僕が初めて観て最も印象深かったのは、開幕早々にトルーマン大統領の時代と告げられた、戦後間もないと思しき戦勝国アメリカにおける“鄙びたうらぶれ感”だった。いくら'70年代に撮られた映画とはいえ、サニー(ティモシー・ボトムズ)たちが高校を卒業した'52年当時を舞台に、これほど喪失感と閉塞感に包まれたアメリカが描かれていたとは思い掛けなかった。それと同時に、'60年代のフリーセックスを思わせるような全裸のプール・パーティが登場してきて、大いに驚いた。

 街の親父と慕われていたサム(ベン・ジョンソン)の言っていた、一番バカなのは何もしないで老いぼれることさという台詞には、時代を超えた普遍性があるけれども、彼が若きロイスとの恋にのぼせたのが、妻が正気を失い息子たちがみな死んでしまったときだったとの彼の弁からすれば、第二次大戦で戦死したということなのだろう。自分自身をも含め誰も彼もを蠱惑するジェイシーを巡って諍った後にサニーと和解したデュエーン(ジェフ・ブリッジス)が赴く先もまた戦場だった。思えば、この朝鮮戦争以降、アメリカはずっとどこかで戦争を続けることで、軍産複合体を形成し、世界に君臨してきたのだったと改めて思った。出征前のデュエーンとサニーが一緒に観た映画館閉館のラスト・ピクチャー・ショーたる『赤い河』['48]のなかで、ジョン・ウェインが「ミズーリへ!」と叫ぶのに応えて数多の男たちが雄叫びを上げる場面のミズーリは、朝鮮半島に他ならない気がしたからだ。

 ただ、そのように解すると、アメリカ参戦から約十年後となる時点でロイスが高校生の娘を持つアラフォーを迎えているのは、ロイスがサニーに語った二十二歳の時に出会ったという話と十年くらい勘定が合わなくなる。もし第一次世界大戦だとアメリカ参戦は終戦の年1918年だったようだから、そのときに二十二歳なら三十四年後の1952年には五十路半ばになってしまって、これまた勘定が合わない。でも、デュエーンの出征と対になるようサムの息子たちの死は作劇的には戦死でないと話にならなくなるから辻褄を合わせると、サムが若き人妻ロイスと恋に落ち、素裸で川遊びをしたのは、1930年代半ばで息子たちの戦死から二十年近く経つという据わりの悪さになる。また、1918年に息子たちが戦死したとするならば、遅くとも1900年には彼らが生まれていないとヘンで、サムがそのとき二十歳だったとしても、1952年には七十歳を超していることになるわけだが、いくら老いについて口にし、突然死を迎えていたにしても、サムはそこまで歳が行っているようには見えなかった気がする。

 しかし、ロイスがサムにとっての忘れえぬ女性で、のぼせ上って全裸になって川遊びをしたというエピソードは、彼女の娘ジェイシーのプール・パーティとの対照からも、二十歳前後の話でないと据わりが悪いように思う。だがそもそも、'52年当時に本当にテキサスの田舎町で若者による全裸プールパーティのようなイベントがあったのだろうか。そのようなことを考えると、監督・脚本を担ったボグダノヴィッチは、ラリー・マクマートリーの原作小説にかなりの潤色を加えているのではないだろうかという気がしてきた。

 もしかすると、僕が驚いた“喪失感と閉塞感に包まれた'52年当時のアメリカ”という部分は、原作小説にはなくて、ベトナム戦争や政治の季節を通り過ぎてきた後の'70年代初頭におけるアメリカン・ニューシネマとして、ボグダノヴィッチの描き出した'50年代アメリカの姿だったのかもしれないと思った。本土が戦場にならなかった戦勝国ゆえの繁栄から“アメリカン・ゴールデンエイジ”と呼ばれることもあるらしい'50年代にも、それとは異なる側面も必ずあったはずで、それを描出したかったのかもしれないと思うと、納得感が湧いた。

 
 翌日の早朝に観た『ヤング・ゼネレーション』は、十年前の再見に続く再々見だった。『ラスト・ショー』でのサムの「一番バカなのは何もしないで老いぼれることさ」という台詞に重なる若いうちに何でもしておくのよという声を息子のデイブ・ストーラー(デニス・クリストファー)に掛けるママ(バーバラ・バリー)がとても素敵な映画で、内容的には十年前の再見時に変わるものはなかったが、改めてヤング・ゼネレーションというか、青春時代というのはまさに“かぶれの季節”なのだなと思った。

 ただ十年前には本作が格差社会を描いた作品だったことを今回の再々見ほどには意識しなかった気がする。それだけ日本での格差社会化というか階層化が進んできたということだろう。戦後ひたすらアメリカナイズの道を辿って来た日本がまさしく四十二年前のインディアナ州の田舎町と重なる社会構造を持つよう追い付いてきている感じを受けた。

 ちょうど本作の撮られた'79年は、社会学者エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を刊行した年で、『ラスト・ショー』の黄金時代とは対照的な低迷期に入っていた時代だったことを改めて意識した。そう考えると、格差社会を前提にしたうえでの本作のような青春映画が日本映画には一向に登場していないように感じられるところに、アメリカ文化と日本文化におけるメンタリティの差異を思わずにはいられなかった。




*『ラスト・ショー』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/2467497216683180/
by ヤマ

'21.12.14. DVD観賞
'21.12.15. DVD観賞



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