『空に住む』
監督 青山真治

 タワマン暮らしも、郊外古民家を改装した洒落たオフィスでの道楽的出版業も、とても手が届かない生活を僕がしているからか、とうてい地に足のつかない39階でのタワーマンションの部屋の佇まいにしても、やけにトレンディ然とした古民家オフィスの書肆狐林の佇まいにしても、スクリーンだから板というよりは幕だけれども、妙に板についていない取って付けた感が漂っているように感じた。そのせいか、本作がうまく嵌った人には“文学的香気”として作用してくるであろう台詞の数々が、“文学的能書き”にしか響いてこなくて、役者の好演が何とも勿体なかったように思う。

 観賞前にロビーで遭遇した映友から原作小説があると偶々聞いたものだから、てっきり女性作家なのだろうと思っていたのだが、エンドロールを眺めていたら、男性のようで驚いた。ならば、原作の立ち位置は、陽の目を浴び始めた家族持ち新進作家の吉田理(大森南朋)だったのかもしれない。映画化作品は、今の映画マーケットの事情を反映してか、専ら女性三人の心身のもやもやを描いていたように思う。

 それにしても、あのタワマンと書肆の現実感のなさは、何だったのだろう。直美(多部未華子)の感じている“居場所のなさ”ないしは“仮住まい感”を狙っていたのかもしれないが、僕には効果的に作用して来ず、仇となっていた。

 総て満たされているはずなのに、むしろ、それゆえにか、若くして“終わった感”に囚われているようだった有閑専業主婦の明日子(美村里江)の虚ろにしても、不倫の婚外子であることを秘して出来婚を偽って家庭を築こうとしていた愛子(岸井ゆきの)の直美が言う“最低”にしても、役者として空泣きの涙の演技のなかに“本当”を込めようとする自分と“本当”を知っているくせに隠して生きる実生活を送る直美との対照を指摘して、彼女の気を惹いていたヤングスター俳優の時戸森則(岩田剛典)が仄めかす“哲学”にしても、人物像の総てに取って付けたような拵え感が強くて残念だった。訳あり的な魅力として映っては来ずに、どれもこれも何だかめんどくさい連中だなとの思いが先に立ってしまった。思えば、書肆狐林の編集長柏木(高橋洋)にしても、そうだったような気がする。

 それもあって、黒猫のハルがストレス性とやらの腫瘍で死んでしまう本作よりも、老犬のさくらが強烈な臭気とともに便秘を解消して元気を回復するととともに飼い主一家の再生をも予感させていたさくらのほうが断然好みだと思った。ひと月前に同じ劇場で観た映画だけに、自分にとってのその好対照ぶりが、なかなか興味深く感じられた。

 それはそれとして、多部未華子は何となく華奢な身体つきのイメージだったのに、ベッドに伏せて露わにしていた背中のがっしりした感じに大いに驚いた。彼女は、相変わらず魅力的だったが、だらしなくも健気に生きる女性の若さを体現していて見事だった覚えのあるピース・オブ・ケイク['15]には及んでいなかったように思う。
by ヤマ

'21. 3.29. あたご劇場



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