『すばらしき世界』
脚本・監督 西川美和

 身分帳に懲役十年と記されているのに、なぜ十三年と思ったら、服役中にいろいろと問題を起こして、刑期が伸びたということらしく納得した。その一方で、三上正夫(役所広司)の殺人自体は、日本刀で襲われての逆襲だから、過剰防衛ではあっても、殺人罪での懲役十年は長すぎるのではないかと思ったのだが、懲役十年を記してあった身分帳の上方にあった十犯六入からすれば仕方がないのかもしれない。色の入っていない下絵の刺青のままだったのは、余りに出入りが激し過ぎて、きちんと仕上げることができなかったということなのだろう。前科十犯六入獄にそのようなことを思うのと同時に、数日前に観たヤクザと家族 The Familyでの初犯と思しき賢治の刑期十四年に対する不審が尚更に募った。

 その『ヤクザと家族 The Family』同様に、改正暴対法施行後の社会復帰の難しさが、かなり入念な取材によって裏付けられていると思しき脚本によって、とても丁寧に綴られていたように思う。本作を観た映友が、改正暴対法に連動する暴力団排除条例を私は「差別条例×警察怠慢条例」と思っていると記していたが、『ヤクザと家族 The Family』と同じく、それを通じて、排除の論理が罷り通る“強者の論理一色に染まりつつある現代日本”を描いていたような気がする。

 とりわけ印象深かったのは、逆上してしまった三上の暴行の凄まじさを目の当たりにして、録画していたカメラを持ったまま現場を逃げ出したTVディレクター兼カメラマンの津乃田(仲野太賀)に向かって、彼を追って走ってきた吉澤プロデューサー(長澤まさみ)が浴びせかけていた撮らないんだったら割って入って止めるか、でなけりゃ、逃げずに撮ってきちんと伝えなきゃ何にもならないでしょ! あんたみたいな中途半端なのがいちばん役に立たないのよ!という、強者の論理としては実に真っ当な叱責の場面と、勤め始めたばかりの介護施設の現場で、障碍者雇用枠で雇われている花好きの心優しい同僚へのいじめの現場を目撃しても、また、見過ごせないような差別発言を同僚たちが交わす場にいても、三上がグッと我慢をして、黙って堪えていた場面だった。

 後者は、まさに吉澤の元から逃げ出すことによって異なるアプローチで三上を追い続けた津乃田が、三上の身元引受人となった弁護士の庄司夫妻(橋爪功・梶芽衣子)、三上と同郷の量販店店長(六角精児)とともに心の籠った就職祝いをした席で、三上があなた方の顔に泥を塗らないように、我慢して抑えることを誓うと約束したとおりに、習い性となっていた逆上を遂に自制した形になっていた。

 逃げ出すことの意味と効用、功罪はともにあり、簡単に是非を問えるものではないことを西川作品らしい辛辣さで描き出すとともに、このところ俄かに耳目を集めている出来事において大いに問題になっている“わきまえる”ということにも関連してくるような、渡世から処世に変えて歩む道をかろうじて持ち堪えた三上の姿が痛烈だった。

 私らにはもう無理だけど、今の貴男には可能性があるのだから、戻っちゃダメだと餞別を添えて送り出してくれた九州の下稲葉の姐さん(キムラ緑子)は、介護施設での三上の我慢をどう観るだろうと思わずにいられなかった。この辛辣な設えは、佐木隆三の原作にはなく、西川監督の創作ではないかと思うが、相変わらずたいしたものだと恐れ入った。原作に当たって確かめてみたい気がする。僕のなかでは、元受刑者であることを“わきまえて”津乃田たちとの約束を守ることを直ちに良しとは思えない想いと同時に、三上に異議申し立てを求める気にはとてもなれない想いが湧いてきて、その場での三上ほどでは到底ないにしても、何だか苦しくて堪らなかった。

 そういう急所というか核心を突いてくる脚本の見事さには本当に感心したけれども、西川監督には少々やり過ぎというか、あざとい面があって、本作でも、西尾信太郎との連名宛てで郵便物の届いていた元妻の久美子(安田成美)が三上の連絡先を探し出して電話をかけてくるばかりか、子連れでとはいえ再会を約するだとか、自動車教習所での三上の刑務所歩きだとか、ないほうがいいように思う場面が幾つか目についた。九州の兄弟分ヤクザによる歓待場面でも、湯に浸かって寛いでいるのかと思えば、潜っていたソープ嬢が水中から頭を出してきて驚かされた。なかなかシビアな作品なのだから、意表を突いたり、軽く笑いを誘ったりするような小技も要るのだろうが、少々気になった。決して斯界に明るいほうではないが、ソープ嬢のサービスに“潜望鏡”というのはあっても、“潜水フェラ”などあるのだろうか。お湯が邪魔だし、息が続かないだろうから、サプライズの取り方が少し違うのではないかと思ったりした。

 しかし、宮城で始めてから七年になると言っていたソープ嬢のリリー(桜木梨奈)が、半年後に息子を迎えに行くんだと話したことに対して、自分が施設を飛び出してしまったために擦れ違ったと聞いているらしい母の迎えを思い出し、束の間、リリーに母の来し方を偲んだであろう三上に、それとは知らずに頬を摺り寄せて、リリーが可愛いひとと囁いていた場面は大いに気に入っている。『ヤクザと家族 The Family』で賢治が返り血塗れのまま訪ねた由香のアパートの上り口の板の間での濡れ場と違って、きっちり体当たり演技を見せていたことに対して、やはり映画はこうでなければと思った。

 彼女は、僕にとっては、六角精児の演じた量販店店長とともに、その人物造形が特に目を惹いた登場人物だった。更生に向けた職業的関与ではない形で、三上にとっての「すばらしき世界」をもたらしてくれた市井のキーパーソンというのは、この二人だったような気がする。結局、会うことの叶わなかった三上の母への想いに、幾ばくかとはいえカタルシスを与えられたということこそが、彼を「すばらしき世界」に導いたのだと思った。三上のようなパーソナリティであればこそ、母親への想いはそれだけ強かったような気がする。女性の肌に触れて得られるものの掛け替えのなさについて、改めて感じ入るところがあった。特に性的満足というようなものに限局したことではない。それについては、三上がリリーにそいは、もうよかよと告げていた言葉のとおりだという気がする。




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by ヤマ

'21. 2.14. TOHOシネマズ3



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