『彼女は夢で踊る』
監督・脚本・編集 時川英之

 失恋への引き摺られ男のやけに女々しい未練話のようで少々食傷した上に、ストリップ讃歌でもあるはずの映画において、かほどの出し惜しみをしては、ちっとも讃歌にならないではないかと呆れたが、令和の御時世を反映したらこういう作風になるのも判らぬではない気もした。現在もなお興行を続けているらしいヌード劇場に材を得て、時の流れのなかで廃れ行くストリップ業界で木下社長(加藤雅也)が回顧する夢現の交錯する物語だったわけだが、二十代で業界に足を踏み入れた頃の彼(犬養貴丈)とほぼ同じ時期を二十代で過ごし、当時の風俗映画や興行を同時代で垣間見ている僕からすると、むしろ映画の作り手に同情を禁じえないような気持ちも湧いてくる。

 NHKの朝ドラで肩に力の入っていない喫茶店のマスターを好演していた加藤雅也がなかなかよくて味があり、若い時分の信太郎を演じていた犬養貴丈もいい感じだったことに比べて、女優陣に力不足、魅力不足が目立つように感じられた部分には、前述の事情も作用しているのかもしれない。同じような風俗映画としての当時の映画を観知っている者にとっては、自分が若い時分に観た日活ロマンポルノなどで出会った女優陣の精彩からは、程遠いような気がした。

 二十日ほど前に観た星屑の町と同様に、昭和の風情を色濃く残す映画館に似つかわしい作品の先行回の終わりを待ちながら、入場前のロビーに漏れ聞こえてきた最後の音楽で踊っているストリッパーは誰なのだろうと思っていたら、まさかの加藤だった。意外だったが、確かに本作の締め括りに相応しく、その前に登場していた、サラ(岡村いずみ)の早朝の岸壁での踊りや、ようこ(矢沢ようこ)のラストステージよりも、余韻と味わいにおいては勝っているように感じた。

 それにしても、広島第一劇場の裏階段の壁には、本当に踊り子たちのキスマークが残っていたのだろうか。サラが始めて、ようこが最後に遺したエピソードとしての創作により施されたもののような気がするけれども、いかにも本作の主題を象徴しているように感じた。

 折しも当地では、開催中の「アートアクアリウム展~高知・金魚の海~」に寄せて、女性に対する差別と搾取の権化たる廓文化を美化し称揚したものとの批判が聞こえてきたりしているところだが、そのように感じる人たちにとっては、本作のような映画はどのように映って来るのか、意見を伺ってみたいようにも思った。性風俗興行の世界の影の部分にはいっさい目を瞑った映画であることは少なくとも間違いない。実にノスタルジックでナルシスティックに美化された幻想的な世界だったような気がする。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/21012901/
by ヤマ

'21. 1.24. あたご劇場



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