『パットン大戦車軍団』(Patton)['70]
『我等の生涯の最良の年』(The Best Years Of Our Lives)['46]
監督 フランクリン・J・シャフナー
監督 ウィリアム・ワイラー

 いかにも毀誉褒貶著しそうなG.S.P.ことジョージ・スミス・パットン将軍を描いた2時間50分に及ぶ著名作『パットン大戦車軍団』は、十代の時分にTV視聴して以来だったが、冒頭の“大星条旗”を背にして姿を現すパットン(ジョージ・C・スコット)のろくでもない演説そのままのマッチョな人物造形がされていて、大いに納得感があった。

 戦時の英雄というのは、得てしてろくでもないメンタリティを擁しているという妙なイメージが僕のなかでは出来上がっているのだが、それにぴったりの男だった。作中でも“16世紀の人”呼ばわりされ、現代に迷い込んだロマンの騎士とも言われていたように、もはや時代遅れの変人でしかない面が目立っていたものの、ヒーローとして慕われるカリスマ性を備えている部分も巧みに造形し得ていた気がする。実在した人物を描いて、ろくでもない部分と立派な部分とをこれだけしっかり映し出した作品は、珍しいのではないかと感心した。

 それは、ある意味、信奉者と批判者の両方から支持されない描き方になりかねないのだから、なかなか勇敢な臨み方だと思う。脚本はフランシス・フォード・コッポラとエドマンド・H・ノースだとクレジットされたが、大したものだ。だからこそ、映し出された「戦争フリークになってしまっていて、平時には生きられなくなっている」軍人キャラクターということで言えば、本作にも登場したバルジの戦いを描いたバルジ大作戦['65]のドイツの軍神ヘスラー大佐(ロバート・ショウ)のほうが、同じ戦争フリークでも魅力的になるわけで、雄弁に登場したオープニング場面と対照を為す“犬を連れて静かに去っていくラストショット”の侘しさに味が出てくるのだという気がする。


 ようやく観た名のみぞ知る宿題作品『我等の生涯の最良の年』は、郷里に戻る輸送飛行機に乗り合わせて「日常に戻れるか不安だ」との言葉を共にしていた、特別表彰を受けた若年大尉、中年軍曹、両手を失った傷痍水平という三人を軸に、戦後生活の困難に直面する復員兵の姿を描いている作品だった。戦争終結の翌年に戦勝国アメリカで戦後の困難を描いた映画があるとは知らずにいたから、かなり驚いた。しかも持ち帰った日本兵の軍刀や千人針をアル・スティーブンソン軍曹(フレデリック・マーチ)から土産として見せられた息子のロブが「日本人は家族の絆を大切にする」と言うばかりか、ヒロシマの原爆投下に触れ、原子力の軍事利用に批判的な話を物理の授業で聴いたと戦地に立った父親に確認しようとして、不興を買う場面まであって吃驚した。

 アメリカでは、日本への原爆投下こそが戦争終結を早めたと学校で教えているという話ばかり見掛けるが、そうではない授業も実際にあったのだろう。むしろ原爆投下容認を学校教育で積極的に展開するようになったのは、戦後すぐのことではなくて、その後の時代になってから政治的要請によって教育現場に下りてきたことだったのではないかという気がした。むろん戦後間もない当時においても、教師自身の意見としてやむを得ない投下だったと授業で話した教員はいたのだろうが、本作で話に上がっていた物理の教員のような人物も少なからずいただろうということだ。また、惨状を繰り広げた戦場の代表として硫黄島の名が挙がっていたことも目を惹いた。聞くところによると、原爆投下を巡る会話は日本初公開時にカットされていたらしい。当時は占領下だったろうから、GHQの意向が働いたのだろう。

 戦後生活に軍隊時分の階級や勲章が仇になる苦しい現実を描いていて痛烈だった。軍隊では月給400ドルの下士官だったのに、週給32ドル50のドラッグストアの店員しか職がなくなっていたフレッド・デリー大尉(ダナ・アンドリュース)が新婚早々に戦地に赴き離れた恋妻マリー(ヴァージニア・メイヨ)から愛想を尽かされつつ懸命に己が誇りを保とうとしているなかで「頭を冷やして早く軍隊での下士官気分を抜くことだ」と呟いていた姿が痛々しく、復員時に乗り合いで使ったタクシー代を「ここは上官に奢らせろ」と笑って言ったときとは異なる顔つきで、今や復員兵援護法による小口貸付の責任者たる年収12000ドルの副頭取に昇進して元の職場の銀行に戻っているアルから、彼の娘のペギー(テレサ・ライト)の件で呼び出され釘を刺されたカフェの代金を苦しい懐事情のなかから「俺の奢りだ」と払っていく対照が効いていた。

 戦時の英雄というのは、得てしてろくでもないメンタリティを擁しているように感じる部分は『パットン大戦車軍団』と違って、夜毎うなされる戦闘時の夢に苛まれるPTSDを抱えたフレッドの姿として描かれていた。そして、戦時に求められるものと平時に求められるものとの違いについて皮肉を込めた語り口で引用して、アルがスピーチのなかで、法律に支えられて国との協調融資を行う復員兵のための小口貸付にさえ現物担保の確保一辺倒で臨む銀行の在り方に異議を唱える姿に感銘を受けた。頭取の意図とは少々異なっていても、戦場体験を生かした職務への臨み方として実に勇敢で真っ当なものだと思うとともに、昨今の上役への忖度に終始する組織人文化の変容に対して、改めて嘆かわしい思いが湧いた。アルのスピーチは、批判的な意見を表明したくらいで職が危うくなるようなことはないという組織や上司への信頼感があるからで、実際、妻にもそのような説明をしていたように思う。人物を見込んで担保を取らずに農地取得のための融資を行って、もし焦げ付きという結果を招けば責任を問われて当然だけれども、その手前での処分など全くの筋違いで、そんなことが起こるはずがないという真っ当な組織文化が根底にあってこそのものだという感慨も同時に湧いた。

 また、「間違った戦争だった」とアメリカ参戦を非難する復員兵を登場させていたことも目を惹いた。戦争で両手を失った水兵ホーマー・パリッシュ(ハロルド・ラッセル)のような傷痍兵ではなくてもアメリカ参戦によって人生が狂った復員兵は数知れずいたのだろうが、ホーマーの失った両手を無駄な犠牲のように言い、戦死した人々を犬死のように言われることが、自身の人生がひどく傷ついていたフレッドにおいては実に耐え難いことがよく伝わってくる場面になっていた。戦争を批判し反省しても、戦争で負った犠牲の否定は断じて容認できないのは当然のことだろうと思う。そこには大きな違いがあるのであって、そのようなことをも含めて、“戦後の困難”を大きな視座で捉えていたような気がする。

 しかし、『パットン大戦車軍団』と同じ2時間50分に及ぶ本作を通じて最も僕の目を惹いたのは、マーナ・ロイの演じていた聡明で愛情豊かな賢夫人ミリー・スティーブンソンだったように感じる。「日常に戻れるか不安だ」との思いを抱えて復員して帰宅しても落ち着けず看護婦として働く娘ペギーに運転させた車で繰り出して飲み歩くのに付き合い、ホーマーの叔父ブッチ(ホーギー・カーマイケル)の店で、二人の思い出の曲であろう思い出の中に(Among My Souvenirsを夫のアルがリクエストして「シャル・ウィ・ダンス?」と言ったときの嬉しそうな妻としての表情、出合わせたフレッド大尉と痛飲して前後不覚になったまま大尉を家に泊めることになったことにも目くじらを立てず、翌朝、朝食を夫のベッドに運び、「子供たちは?」と問われて「ロブは学校、ペギーも勤めに出たわ」と答えたときの風情、頭取の主催した晩餐会でスピーチを求められた夫に向けたフォローの見事さ、既婚者への思慕に苦しむ娘から「ずっと幸せな夫婦だったパパとママ」と言われて「数えきれないほどの喧嘩を重ねたわ。そのたびに仲直りして、恋に落ちたの」と諭す母としての顔、いずれもめっぽう素敵だった。さすがオープニングクレジットでトップになっていただけのことはあると得心した。

 そういうミリーを印象づけたうえで、傷痍軍人となって復員し屈託を抱え、将来を約した幼馴染ウィルマ(キャシー・オドネル)との結婚に臨む勇気を持てなかったホーマーが自宅で催す結婚パーティで麗しいウエディングドレスに身を包んだウィルマが階段から降りてくる場面で終えることによって、いいときではなく、悪いときに寄り添ってくれるのが真のパートナーだという物語にしているところにハリウッド映画の真骨頂を観たような思いがした。大したものだ。
by ヤマ

'21. 9.30. BSプレミアム録画
'21.11. 6. BSプレミアム録画



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