『バルジ大作戦』(Battle of the Bulge)['65]
『さらばバルデス』(Chino)['73]
監督 ケン・アナキン
監督 ジョン・スタージェス&ドゥイリオ・コレッティ

 手元に残っている手帳や日記から作成した観賞作品リストは'76年からのもので、そこに『バルジ大作戦』の記録は残っていないけれども、やはり観覚えがあった。おそらくTV放映で観ているのだろう。むかしは、作品タイトルとか役者、スタッフにまるで関心がなかったので、中学生あたりまでに観た映画のことは、観てみないと既見作かどうか自信がない。

 作戦遂行のためには、世話役の部下コンラート伍長(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)が用意した特別料理のみならず、上司たるコーラー将軍から慰労に提供された美女をも退ける、ドイツの軍神ヘスラー大佐(ロバート・ショウ)の真価は、最も近くで観て来たコンラート伍長が最後に言っていたとおりのものだろうと僕も思う。戦争フリークになってしまっていて、平時には生きられなくなっているのだろう。時代的差異があるから描き方は異なるけれども、『ハート・ロッカー』['08]のような戦場依存を捉えていたのだなと感心した。

 司令官なれば、作戦遂行のためには犠牲を厭わない非情さを要することに自嘲とぼやきを垣間見せていた米軍のグレイ将軍(ロバート・ライアン)のほうには、そういう依存や冷徹さを感じさせない描き方をして対照させている点が目を惹いた。しかも敢えて対照させながら、むしろヘスラー大佐の人物像のほうが鮮やかな印象を残すような作りにしてある点が、なかなかのものだと思う。

 それからいくと、オープニングクレジットで、でかでかとトップに挙がっていたヘンリー・フォンダは、大事な部分で活躍もしている米軍参謀のカイリー中佐を演じているのに、妙に冴えが感じられない。というか、『十二人の怒れる男』['57]以外では、僕の眼には、いつもどこか“独活の大木”感がつきまとっているような気がしてならない。何故なのだろう。

 キャラクター的には、本作のストーリー展開からすれば、いかにも取って付けたような感のあるガフィー軍曹(テリー・サバラス)の存在が目を惹き、彼とルイーズ(ピア・アンジェリ)の交わしていたエピソードや、役立たずどころか足手まといでしかなかった若輩将校のウェーバー中尉の成長に命を以て尽していたデュケスン軍曹(ジョージ・モンゴメリー)の姿が心に残る。'44年12月の戦闘から二十年ほどしか経っていない半世紀以上前のハリウッド製の戦争映画お得意の造形だったような気がする。そして、ウォレンスキー少佐を演じたチャールズ・ブロンソンが、朧げな記憶のなかでは、もっと目を惹く存在だったような気がしていたのに、そうでもなくて意外だった。

 彼は、僕が十代の時分に日本で一世を風靡した男優だ。化粧品マンダムの名とともに強く焼き付いていて、役者としての印象も強く残っているのに、その主演作をあまり多く観ている記憶がなく、主演作として強い印象を残しているのは十代時分に観たきりの『バラキ』['72]くらいだ。

 前月BSプレミアム録画で初めて観た『夜の訪問者』['70]でも、刑務所からの脱走仲間のロス(ジェームズ・メイソン)が言っていたとおり、更生して賃貸クルーザーの船長になっていたジョー(チャールズ・ブロンソン)以上に、彼の妻ファビエンヌ(リヴ・ウルマン)が大したものだという映画だったような気がする。リヴ・ウルマンにはこういう役どころの映画もあったのかと驚いたが、「結婚した時から共犯」という彼女の台詞がなかなか格好良かった。

 だが、続いて観た、据え膳とまではいかずとも、ついつい誘いにのっかって危ない果実を食ったばかりに難儀なことになった男の話だった気のする西部劇『さらばバルデス』['73]は、泣きを入れるわけにはいかない男ブロンソンの突っ張りを味わう作品で、彼の面目躍如たるものがあったような気がする。未見だと思っていたけれど、遠い日にTV視聴かなにかをしていたようで、まさに『バルジ大作戦』と同じく観覚えがあった。

 孤高の馬飼いチノ・バルデス(チャールズ・ブロンソン)が、月10ドルで雇うことにした小僧ジェイミー(ヴィンセント・ヴァン・パタン)の言っていた女なんかには関わりたくないとのいかにも少年らしい言葉に対して、男は言うこととすることが違うもんだと大人の事情めいた呟きをしていたのが妙に可笑しかった。もっとも、キャサリン(ジル・アイアランド)に色目を使われて、黙殺もできず泣きも入れられず突っ張るしかなくなる“男はつらいよ”映画などというのは、ブロンソンの個性あってこそだろうし、'70年代までの代物なのだろうなとやけに懐かしく観た。

 この作品もまたBSプレミアム録画で観たのだが、捜索者』の拙日誌当時はマーティンのような生い立ち(ネイティヴアメリカンと白人との混血)を持っている人が少なからずいたのだろう。このところBSプレミアム録画で観た西部劇には、そのような境遇の登場人物が頻繁に登場している気がすると記したものの一つだった。チノは、それゆえに孤高の暮らしを余儀なくされていたし、キャサリンの兄マラルが怒りのままに襲撃までするのも、彼が先住民との混血だったからにほかならない。けっきょくチノは己が育てた馬をジェイミーに託して、この地を去るしかなくなっていた。
by ヤマ

'21. 4.26. BSプレミアム録画
'21. 3.27. BSプレミアム録画



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