『モーリタニアン 黒塗りの記録』(The Mauritanian)
監督 ケヴィン・マクドナルド

 今世紀の始まった年に起こり、世界を揺るがせた 9.11の首謀者の一人として不当拘束を受けた“モーリタニアン”ことモハメドゥ・スラヒ(タハール・ラヒム)に関する公文書の不開示決定やべったり黒塗りの部分開示の文書を観て覚える既視感は、歴代内閣の最長在任記録を為した元首相に絡むモリカケ桜文書によるものに他ならないが、ブッシュ政権下の不正と悪の権化を代表するラムズフェルドが亡くなった途端に、彼が拷問尋問を許可したことがクローズアップされる作りのタイムリーさに些か苦笑した。存命中なら封筒まで示した露骨な名指しはされなかったのではないかという気がした。そういった妙な匙加減のようなものが付きまとっている感じが少々気になったが、映友の一人も「やはりこういうジャーナリスティックな作品を堂々と、しかも面白い作品に仕立てて世に送り出せるあちらの映画界には脱帽せざるを得ません。」と言っていたように、力作であることは間違いないように思う。

 そして、わが国の森友文書改竄問題において自死に追い込まれた職員の良心を彷彿させるスチュアート・カウチ中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)の存在が、スラヒの弁護を引き受けた人権派弁護士のナンシー・ホランダー(ジョディ・フォスター)以上に、目を惹いた。

 本作を観る限りでは、黒塗りを不当と判じた裁判所の決定が事態を大きく進展させたようだったが、折しも先月末に、三年半前に自殺した我が国の元職員の妻が財務省の調査報告の関連文書を不開示とした財務省の決定の取消を求めて大阪地裁に提訴した。司法判断がどう出るか、大いに気になるところだ。

 邦題に原題にはない「黒塗りの記録」などという副題を添えてあるものだから、映画作品としては、この素材ならもう少しその黒塗りに係る部分にもっと焦点を当てて欲しかったなと思わずにいられなかった。だが、考えてみると、原作がスラヒの手記であって、原題がモーリタニアンとなっているのだから、スラヒに判らない事情を映画に求めても無理に決まっている。

 だが、それならそれで、もっと率直にスラヒその人に焦点を当てて、彼が英語を習得するに至るプロセスを描いたり、2度のポリグラフ検査をクリアする部分をカウチのとっておきのエピソードに使うのではないような描き方があったのではないかという気がする。

 エンドロールで矢庭に登場して「キティ? テリーじゃなくて? あ、テリーは別に活動しているのか」というようなことにはならないスラヒの描き方があるように思う。彼の再婚や2010年の勝訴から解放までの6年を彼がどう生きたかを描いてこその「モーリタニアン」なのではないのかという気がした。もしそうなっていれば、本作を観て、僕がスラヒよりもカウチのほうが気になってしまうような作品にはならなかったように思う。




参照テクストBS世界のドキュメンタリー『“復讐”からの解放〜グアンタナモ その後
by ヤマ

'21.11. 7. TOHOシネマズ1



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