『Mr.ノーバディ』(Nobody)
監督 イリヤ・ナイシュラー

 全くしょうがないなぁ、と笑ってしまった。不死身のハッチ・マンセル(ボブ・オデンカーク)もさることながら、ある意味、それ以上とも言える元FBIの親父デヴィッド(クリストファー・ロイド)が利いていたように思う。

 最初こそ、不埒なチンピラカップルの強盗の暴力よりも、心ない陰口を広める普通人たちの暴力のほうがタチが悪いなどと、真面目に観ていたのに、「んな、アホな」の展開が連発されるに至って、こりゃもう笑いを取りに来てる映画じゃないかと、僕の年ごろだと尾藤イサオのカバーでも馴染みのある♪悲しき願い♪の原題、「Don't Let Me Be Misunderstood」が幾重にも効いてきて、唸らされた。さすが最初と最後を飾る歌だけのことはある。また、ルイ・アームストロングの歌う♪What a wonderful world♪も思わず笑いを誘われる効果的な使い方がされていた。相反するイメージをある意味、表裏のものとして継いでいたわけだが、映画における歌のそういう使い方として最初に意識したのは、三十六年前に観たブルーベルベットだったような気がする。

 劇中、テレビに西部劇のワンシーンが映るが、作り手は西部劇ファンに違いないと思った。それも劇中に映ったアメリカンと思われる西部劇ではなく、マカロニのほうだろう。まさに今世紀に生まれ変わったマカロニ風味の殺戮劇だったが、「そんな馬鹿な!」の展開は同じでも、マカロニ・ウエスタンと違って隅々にまで手の込んだ凝った造りが数多の映画好きを捉えて離さないであろうことが、容易に窺える出来栄えだったように思う。ハッチがぼそっと言う「機関で一番手に負えない最強の奴を“会計士”というんだ」にも噴き出してしまった。

 初出場面から特大クレジットで「ユリアン」と名前を記されたロシアン・マフィアの顔役(アレクセイ・セレブリャコフ)の、これ以上はないような我が物顔での登場場面の毒っ気に呆気に取られていたら、それを遥かに凌ぐ唖然とするような仕打ちを事も無げに敢行するハッチの醒めた凶暴さに恐れ入った。タトゥー屋に出入りしていた裏社会に通じた風の男がハッチの手首の刺青を観て即座に尻尾を巻いていたが、あの文様が語っていたものは何だったのだろう。

 ハッチの真の覚醒が、予告編で彼が呟いていたような溜まった鬱憤などによるものではなく、久しぶりに生身で味わう痛覚のほうにあることが的確に描かれていて説得力があった。痛めつけられるに従ってどんどん強くなっていき、頭も感覚もどんどん冴えてき出すのが可笑しい。溜まっていたものが溢れ出したことはきっかけに過ぎない。妻のベッカ(コニー・ニールセン)も地下室の必要性を認めていたから、続編があるのは、間違いなさそうだ。眠りから醒めてしまったハッチが「今度はしくじらない」わけがない。それは誤解だって? Don't Let Me Be Misunderstood!

 とにもかくにも、映画館というのは、僕が子どもの頃には、子供番組の時以外は行ってはいけない不健全な場所とされていた娯楽だったことを思い出させてくれる痛快さがあったような気がする。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
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推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2021/06/post-e302d7.html
by ヤマ

'21. 6.18. TOHOシネマズ4



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