『茜色に焼かれる』
監督 石井裕也

 最初に「田中良子は芝居が得意だ」とのクレジットで始まった本作に、観る作品を間違えたかと一瞬訝しんだが、そうではなかった。序盤からの、何とも不快感を煽るようなカメラワークと人物描写に辟易とした部分は、暫くすると落ち着いて来はしたものの、今の日本社会の重要なところに目を向けながらも、作り手は何を思って、田中良子(尾野真千子)・純平(和田庵)の人物造形をし、神様を持ち出したのだろうと不可解な気がしてならなかった。役者はそろって熱演していて観応えがあったけれども、作品的には妙に味の悪い、かなり独り善がりなものになっていたような気がする。

 とりわけ尾野真千子に気合が入っていて感心した。数々の理不尽に対する怒りの表出さえ抑圧して、“生きながら自殺しているかのような自身”の気を逸らせるための芝居を懸命に続けているように感じられる良子の痛々しさに、観ていてヒリヒリした。それだけに、その好演が充分に活かされていないように感じられたのが、残念だった気がする。

 純平までもがいつ理不尽な死に晒されやしないか、ハラハラさせられながら観ていたのだが、もしそうなっていたら、田中良子は、どうしただろう。作り手は、そう持っていこうとしているように感じられてならなかったのだが、流石に怯んだのか、代わりにケイ(片山友希)を天に召し上げてはぐらかしていたような気がする。そのような中途半端さを感じたのだけれども、それなら純平を死なせればよかったのかと言えば、決してそう思ってはいない。純平までもが理不尽な死に見舞われそうに感じられる運びを施していた演出の捏ね方が気に入らなかった。

 良子が営んでいたというカフェのコロナ禍による閉業にしろ、形式のみが恣意的に幅を利かせる過度なルール主義の蔓延にしろ、至る所で繰り返される執拗なイジメにしろDVにしろ、非正規雇用者に対するパワハラ的“弱者への皺寄せ社会”にしろ、若年女性の子宮頸癌にしろ、母子家庭の経済格差問題にしろ、いずれもが時事的事象として注目を集めていることながら、それらを網羅的に取り上げ、甚だ生きにくい“自己責任の付け回し社会”を描きたかったとしても、数々の理不尽に対する怒りの表出さえ抑圧することを倣いとしている者の「満を持しての爆発がここか?」との事態に、「何だかなぁ」との思いが拭えなかった。喩え得てしてそうしたものであったにしても、また、いくら破格の秀才である息子が父も母も難しい人でヘンな人だと述懐していたにしても、何とも釈然としないものがあったように思う。

 それにしても、コロナ禍における店舗型ヘルス・フーゾク営業の現場は、あのような設えになっているのかと吃驚するとともに、時給@3,200円には驚いた。コロナ禍以前から、格差社会の進展により近年急激な相場価格の下落が起こっているという話は、新聞記事か何かで読んだように思うが、なにか凄いことになっているようだ。それとともに、この程度の構えの居酒屋での飲食代が1万7千円とか小1万とかするのかと驚いた。画面にクレジットまでして示していた各種金額だから、それなりのリサーチをしたうえで使っているのだろうが、なんだかピンと来ない金額のように感じた。僕の暮らす地方都市と首都圏との地域格差のようでもあり、また、そういったところに殆ど出入りしない者の時代感覚のズレなのかもしれないが、実感として繋がってこなかったように思う。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/21053001/
by ヤマ

'21. 5.23. TOHOシネマズ3



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