『地獄への逆襲』(The Return of Frank James)['40]
監督 フリッツ・ラング

 前作地獄への道['39]の正統な続編で、前作の引用場面から始まる作品だった。今作でもこの地に法と秩序を望むなら…を射殺せよを社説の決まり文句にしていたリバティ新聞主筆の元南軍少佐を演じたヘンリー・ハルが、本作では、ジェームズ兄弟の兄フランクを演じていたヘンリー・フォンダ以上に、美味しいところを持っていっているような気がした。

 ベン・ウッドソンに名を変えて別人として生きようとしていたはずのフランクが縛り首の求刑を受けたことによって動揺していたエレノア(ジーン・ティアニー)が、自分のせいでそうなったかのように自責の念に駆られていることに対して、彼の選択がエレノアゆえではないことを諭しつつ慰めていた。それは、フランクの育てた強盗仲間の遺児クレム(ジャッキー・クーパー)がジェシーの仇であるボブ・フォード(ジョン・キャラダイン)の追撃断念を咎めた際の糾弾に応える形になっていたわけだが、フランクに言わせるのではなく、彼に言わせることで説得力を増す形になっていた。本作では、けっきょく四人の男が死んでいったが、フランクは誰ひとり殺害せずに、弟ジェシーの敵討ちを果たしたことになる運びになっていた。

 前作でも、ジェシーと同じく豪胆でありながら、ジェシーよりも思慮深く、誠意と節度を覗かせていたフランクを、さらに称揚することによってジェームズ兄弟の名を挙げることに貢献するような映画づくりがされているように感じた。そして、その根っこにあるのは、北部資本が南部を蹂躙していったように感じている人々のなかにある真情のような気がした。強盗団を率いたジェームズ兄弟ではあるけれども、南部の人々からすれば、南下してきてこの地の秩序を破壊した北部人のシンボルとも言えるような鉄道事業に対する根深い憤りがあったゆえにヒロイックに伝承されていることがよく伝わってくる映画になっているように思った。

 そのことに大いに貢献していたのがリバティ新聞主筆のトッド少佐で、ジェームズ家の使用人である黒人ピンキー(アーネスト・ホイットマン)が身代わりとして無実の罪で処刑されかかっていることに耐えられず出頭してきたフランクの弁護人を務めた法廷での活躍ぶりが印象深かった。ヤンキーという呼称は、元々は北部人を指していたものだったことを、そう言えば、という形で思い出したのも、まさしく「北部人」という言葉が使われた彼の弁論のなかで、蔑称として「ヤンキー検事」という言い方がされていたことからだった。

 そして、ジェシーを射殺したときと同じくまたもや震える手つきでフランクを背後から狙い撃った、背中撃ち男とも言うべきボブの卑劣さ以上に、法廷での銃の暴発に腰を抜かして唯一人、机の下に隠れ込むミッドランド鉄道の社主マッコイ(ドナルド・ミーク)の卑小さが強調されていた。先ごろ観たばかりの['69]に造形されていた予審判事に通じるところのある立ち位置を見せる判事(ジョージ・バービア)の人物造形がなかなか興味深かったように思う。また、ジェシーの妻ジーを登場させずに、兄フランクに惹かれるエレノア・ストーンをデンバーのスター新聞社主の娘に設えていた対照も、正当な続編として気が利いているように感じた。
by ヤマ

'21. 4.17. BSプレミアム録画



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