『ウエストワールド』(Westworld)['73]
監督 マイケル・クライトン

 リアルタイムの封切時以来の鑑賞だ。半世紀近く前の中学生時分に観たときは、あまり冴えなかった覚えがあるのだが、今観たら気が付く面白いところがありそうな気がして録画しておいたものだ。このところせっせと西部劇を観ている余波というのも当然ながらあった。

 アラスカ魂』['60]の拙日誌に、まさにやたらと殴りつける場面が多く、酒場での乱闘を笑いながら楽しんでいる“ビッグ・サム”の姿が印象深い作品だった。確かに六十年前当時は、西部劇であれ、戦争映画であれ、こういう場面がよくあったと記したように、体験型ロボット・アミューズメントパーク「デロス」に用意された帝政ローマ時代、中世騎士時代、西部開拓時代という三つの世界のうち、“ウエストワールド”のアトラクションには、ズバリ「酒場での喧嘩」があって笑った。

 不気味なガンマンロボットを演じたユル・ブリンナーは、最初の登場場面でのいかにも“精巧にできたロボットの表情”演技が見事で流石だと思った。酒場の娼婦たちに限らず中世の騎士や貴婦人、ローマ時代の貴族たちの誰をとっても、絶妙にロボットにも人間にも見える演技を果たしていた者は外になく、大いに感心した。また、西部の酒場の女たちの配役が実に西部劇然としていたことにも感心した。改めて、胸を盛って覗かせてこそ西部の酒場女だと思った。

 ロボットたちを制御できなくなる故障原因について潔いほどに全く言及していないことについては、中学時分に観たときは不満に感じたことを思い出したが、今観るとむしろ、壊れるのが機械の宿命というか前提にしているように感じ、ちょうど弁護士のピーター(リチャード・ベンジャミン)が最初は、殺しや買春に怖気づき、躊躇していたものが、背徳に浸り畏れを忘れていくにつれ、麻痺していくのとまるで変わらないものとして対照しているように映ってきた。

 機械は使っているうちに調子が悪くなってくるのが当たり前というわけだ。それを完璧に制御できるなどと勘違いすることのほうが人間の思い上がりであって、むしろ精巧であればあるほど、精密であればあるほど、リスクは高いとしたものだ。

 だが、そういった能書き的なところを描くよりは、専らエンタテインメントに徹していて、SF調で始まりながら、ほとんどゾンビ的なホラー映画風に展開していく。ものがロボットという設定だけに、今観るとまさしくターミネーターのようなものだ。ガンマンロボットが執拗に追っていく姿に対して『ターミネーター2』['91]を観ている者であれば、T-1000を想起しない者はいないような気がする。ウエストワールドとしながらも、三つの世界をそれなりにきちんと映像化していたのも、やはり見世物として現出させるところに狙いがあったのだろう。奇しくも他国の映画世界では余り見かけない、ハリウッドならではの実にアメリカ的な三大エンタメワールドだったように思う。ただ、設定がはなからSFであることも作用してか、ホラーに向かいつつも、どこかコミカルに描いてもいるような中途半端さというか、欲張りが仇になっている感じもあった。

 とはいえ、人間は機械を制御できると過信していることの危うさを明示している先見性については、折しも大手メディアで「福島原発事故から10年」というようなキャッチ―な見出しの元に特番記事を打ち出してきているタイミングだから、尚更に思い当たるように感じた。
by ヤマ

'21. 3. 6. BSプレミアム録画



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