『ガス燈』(Gaslight)['44]
監督 ジョージ・キューカー

 つい先ごろ観たばかりの白い恐怖のときより、一歳若い時分のバーグマンの出演作だ。しかし、『白い恐怖』の記憶喪失男よりも遥かに怖そうな不安と怯えに震える姿のほうが多くて、思わず見惚れるような場面は、序盤を除くと、ダルロイ夫人から招かれたパーティに出向いた際の盛装姿くらいだったような気がして、少々残念だった。新妻ポーラ(イングリッド・バーグマン)を神経衰弱に追いやろうとするグレゴリー・アントン(シャルル・ボワイエ)のサディスティックで偏執的なモラハラぶりがムカつくほどに気持ち悪くて、その演技には感心しつつも、気分が悪かった。

 しかも、話に無理があり過ぎて、イミテーションのなかに本物を紛れさせていたというオチに呆れたが、空き家に残された宝石探しが所期の狙いなら、何もポーラと結婚するまでもないと思わざるを得ず、また、セルギウス・バウワーとグレゴリーの関係も知らない彼女を何ゆえ、手の込んだハラスメントによって追い詰めようとしたのか、ワケが分からなかった。

 ただ、シャルル・ボワイエの冷たい表情と神経を苛む物言いの凄味には恐れ入った。それにしても、向かいに住むスウェイツ夫人の話では、十年も空き家ということだからグレゴリーの計画もまた十年掛かりということになるわけだが、何とも釈然としなかった。

 折しも五日ほど前に高校時分の映画部の部長に会ったときに貰ったチラシのなかに、講談社「週刊 20世紀シネマ館」創刊記念プレゼントの復刻版チラシというのがあって、それに帝都唯一のロード・ショウ劇場スバル座が「アメリカ交響樂」に次いで皆様に贈る「ガス燈」を御期待下さいと記された『ガス燈』のチラシがあったのだが、そこに待望久し!! イングリッド・ベルグマンのアカデミー主演女優演技賞獲得映畫遂に來る!!とあって、魂消た。これで演技賞を取るのなら、バーグマンではなくて、ボワイエだろうと思った。あの気持ちの悪さと不快さは、出色のものだと思う。

 そのグレゴリーの仕打ちに唯々諾々となっているポーラは、とても惚れた弱みでは済まない情けなさで、観ているうちに段々焦れてきて、全く気が知れなくなる。とはいえ、モラハラのねちっこさというのは、そうしたものなのかもしれないと思うと、意外と時代を先取りしていたのかもと思わぬでもなかった。だが、いずれにしても、観ていて気分の悪い作品だったように思う。

 スコットランドヤードのブライアン捜査官(ジョセフ・コットン)による救出でポーラが果たしたお返しは、昨今流行りの些か下品な“十倍返し”どころか、半返しにも及んでいなくて、およそ彼女の気が晴れたようにも思えないが、御返しでは晴れない気も、新たな恋の予感によって晴れるのではないかと窺わせるあたりには、クラシック作品らしい真っ当さが偲ばれた気がする。

 そして、この時分のバーグマンなら、四十年近く前に観たきりの『汚名』['46]を再見してみたいものだと思った。




推薦テクスト:「映画ありき」より
https://yurikoariki.web.fc2.com/gaslight.html
by ヤマ

'21. 2.18. BSプレミアム録画



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