『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』(Britt-Marie Var Har)
監督 ツヴァ・ノヴォトニー

 憧れのパリならぬスウェーデンの田舎町ボリに飛び出て来た63歳の専業主婦だった女性が、荒れ果てていたユースセンターのサッカークラブの再起に貢献して、去り際に因縁のガラス窓に残していった落書き「ブリット=マリー、ここにあり」が原題だったわけだが、なかなかいいタイトルだと思った。

 二か月後に彼女と同じ63歳になる僕から観れば、この歳になって独り立ちをする決意というのは、生半可なものではないと思うから、魂萌え!の敏子よりも4歳上のブリット=マリー(ペルニラ・アウグスト)がボリの町で良き人たちから得た数々の幸運に恵まれたこの後、パリから帰国して何処に向かうのかを観てみたかったような気がする。

 心寄せてくれ、ときめかせてくれたスヴェン(アンデシュ・モッスリング)の待つボリの町に帰るのか、それとも、もう言いたいことをきちんと口にすることができるようになったのだから、悔恨と謝罪とともに迎えにも来ていた夫ケント(ペーター・ハーバー)とやり直してみる気になるのか、そのどちらでもない場所で新たな「ブリット=マリー、ここにあり」を刻むのか、いずれにしても、まさに関口敏子がそうだったように、アラウンド還暦でも女性たちは実にたいしたものだと改めて思った。

 ブリット=マリーの生き方さながらに、いかにも洗練されていない語り口の映画ながら、ボリの町の人々のキャラクターが大人も子供もよく立っていて心地よかった。いかにもハリウッドが好みそうな題材だと思ったけれど、ハリウッドで撮れば、もっとずっとスマートに洗練されて、このヘンな可笑しみの感じはなくなるに違いない。

 聞くところによると、原作小説は映画化作品以上に淡々とした描き方をしているのだそうだ。そして、最後のパリすらも登場しないらしいし、ブリット=マリーの人物像も映画化作品以上に癖のある女性のようだ。『魂萌え!』に事寄せた僕のメモに夫の死後、愛人発覚後の還暦からの人生における(敏子の)反撃は、もっと底意地悪く憎悪が含まれた演技演出でもよかったかな、と思うと応えてくれた映友のような声からすれば、原作小説は上手くツボを押さえているのかもしれない。風吹ジュンが演じると可愛いくなってしまったところが良し悪しとの観方から映画化作品を振り返ると、同じように愛人との対峙が契機だったにしても、そこのところが『魂萌え!』の敏子と本作のブリット=マリーの大きく違っていた点だと思う。

 それにしても、敏子と違ってブリット=マリーは、愛人の存在自体には気づいていたらしいのに、病院に駆け付けて鉢合わせになり対峙したことによって家出するほどに火が点いてしまったのは、どうしてだろう。敏子における“昭子の真っ赤なペディキュア”に当たるような、決して若くはない愛人の露出の大きい派手な出で立ちと、それによって突き付けられた、敏子が昭子から浴びせられた「知らないことは罪ですわよ、奥様。」的な屈辱だったような気がする。夫を寝盗られていてもそこまでは傷つかなかったのだろうけれども、自身が損なわれたように感じて発火したのではないかと思った。




推薦テクスト:「Banana Fish's Room」より
https://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/035b76c3c09ef2a653655befb6b85af8
by ヤマ

'21. 1.20. あたご劇場



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