『朝が来る』
監督 河瀨直美

 栗原清和(井浦新)のような無精子症どころか僕には三人の子供がいて、今や六人の孫にも恵まれ、娘の予期せぬ妊娠という事態を突き付けられたこともないのに、実にデリカシーとリアリティに満ちた描出による映画に引き込まれて、ずっと穏やかならざる落ち着かなさに見舞われながら観た。凄い作品だと思う。それぞれを已む無き是非もなさで以て描き、栗原佐都子(永作博美)に電話を掛けたのが誰であって、幼い朝斗(佐藤令旺)がどのような目に遭うことになるのか、十四歳で朝斗を産んだ片倉ひかり(蒔田彩珠)が成人を前にしてどうなっていくのか、ひたすら気を揉みながら観ていた。

 一か月ほど前に37セカンズを観たとき、離婚した夫から届いた娘への手紙を隠匿した母には已む無き是非もなさを覚えたけれども、LGBTのアウティングに匹敵するような愚を犯したひかりの母(中島ひろ子)には、情けなく遣り切れない思いのほうがより強く湧いた。そして、それ以上に、不用意で無神経な言葉をひかりに掛けた叔父(仁科貴)に憤慨した。この件がなければ、ひかりの人生は、ここまで過酷にならずに済んだのではないかと思えて仕方がなかった。そして、ひかりが唯一の拠り所とした特別養子縁組斡旋NPOのベビー・バトンを浅見(浅田美代子)が閉鎖せざる得ない病魔に侵されていなければ、居場所を得られたのであろうことを思うと、彼女の哀れがひとしお募ってきた。

 そうしたことからか、タイトルが「朝が来る」で、♪朝と光♪という歌が流れても、僕には、朝斗・ひかりに、朝が来るようには思えなかった。ラストの場面は、いかにも佐都子の願いが観せた白日夢のようで、現実だったとは感じられず、新聞販売所の所長(利重剛)が吐露していた遠い日の若い同棲女性の自殺の話のほうに引っ張られ、心塞がれていた。なかったことにしたかろうが、したくなかろうが、“なかったことなどにはできない”人生のキツサが何とも心苦しかった。NPOに子供のフォローはしてもらえたとしても、それで救われるほど、人の心と人生は単純ではないということだ。

 エンドロールにクレジットされていた“Babyぽけっと”というNPOが、本作のベビー・バトンのモデルなのだろう。実に、たいした活動だと思うと同時に、もし片倉の家でひかりの子供を抱えるしかなくなっていたら、ひかりの母は、娘に対する屈託を抱え続ける余裕を育児によって奪われるとともに、母娘で赤ん坊の世話をせざるを得なくなることによって、本作のような形での居場所のなさにひかりが見舞われることはなかったのかもしれないと思うと、少々複雑な想いも湧いてきた。




推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2020acinemaindex.html#anchor003256
by ヤマ

'20.11. 5. TOHOシネマズ5



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