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『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』 | |||||
監督 豊島圭介
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十三年前に観た『LEFT ALONE 1』の映画日誌でも触れた「フランス五月革命から世界的に広がった“政治の季節”の始まる68年」に、ほんの十歳だった僕は、本作の捉えた三島由紀夫vs東大全共闘の討論会での言葉をリアルタイムで体感することは適わなかったのだが、もっと論理的な言葉の交換がなされているものと思っていたら、まるでそうではなかったことに驚いた。 主に認識論を交わしていたのだから、已む無いところもあるとはいえ、繰り出される言葉が論理的というよりも、実に修辞的で、芥正彦が言うところの「詩」の言葉のような感覚的な観念性が、まさに“政治の季節”を象徴しているように感じられた。前掲拙日誌に「示すものが何であるのかを言葉として明確にしないで、…了解し合っている感じが、妙に居心地が悪かった」と記したことに通じるものがあるように感じられたわけだが、三島の言葉にあったように双方の熱っぽさがシラケ世代と呼ばれた僕には、少々眩しくも印象深かった。もっともそれは、本作の編集により、討論的な部分は主に、東大全共闘きっての論客と解説されていた芥と修辞の天才たる三島によるものになっていて、両者ともに演劇を表現活動の場として持っている者同士だったからなのかもしれない。 敢えて赤ん坊を抱いて現れていた芥は、三島に位負けするまいと懸命に背伸びをしているように見える程、かなり挑発的に三島に向かっていたが、背伸びした踵を下すような形の捨て台詞にも聞こえる言葉を残して退場していった。地歩でも年齢でも親子ほどに違う三島への向かい方の果敢さでは出色だったが、“東大全共闘きっての論客”というほどの論者には思えなかった。 芥の弁論に比して、小阪修平と司会を務めた木村修からは、論題提起の部分に留まっていた気がする。挑発的で芝居がかった芥とは対照的に、真面目で冷静な問い掛け方が印象深かった。とりわけ、論戦を挑んだ討論相手の三島に思わず「先生」と呼び掛けてしまい恥じ入る木村の姿には、暴力闘争を掲げる革命家らしからぬ素地が窺えて好もしかった。ただ、千人を超す聴衆を集めたステージパフォーマンスにおいては、演劇を表現活動の場として持っている芥や三島のように“役者”たり得ていなかったということなのだろう。 ただ三島も含め、登壇した彼らに相通じていたものとして最後に示される「熱と敬意と言葉」こそは、50年前の5月13日の東大駒場キャンパスの900番教室に確かにあったように思う。そして、その三語の取り出しからは、それが今の国会質疑から失われている決定的なものだという想いが、本作の作り手にあるような気がした。 知性とは、ロジカルであることを言うのではなく、三島を「近代ゴリラ」と揶揄していた東大全共闘と、「青年は嫌いだ」と公言していたという三島が、いざ討論を始めると互いに「熱と敬意と言葉」を通わせている姿にこそあるわけだ。その点においてひときわ高い知性を発揮していたのが三島由紀夫であったことが、内田樹の指摘を待つまでもなく、非常に印象深かった。その三島こそが、頭でっかち(三島の言葉によると「首から上の」)の“知性主義”を否定して“反知性主義”を唱えていたことに対し、内田から「極めて高い知性からの反知性主義と極めて低い知性からの反知性主義」という言葉が出てこざるを得ない現代の惨状が、実に嘆かわしかった。 なにも国会議員の面々に、東大法学部を卒業し、官僚経験も得てから作家となった三島や、共産主義革命に対して相反する立場の三島を論破しようと招いた東大全共闘の学生たち並みの学力を求めるものではないが、一般常識の範疇にある漢字くらいは誤らずに読んでもらいたいし、「募ると募集は違う」というような驚愕の妄言を強弁するがごとき「言葉」の無意味化を以て答弁とする不適格性は排除してもらいたいものだ。さすれば、知性とは学力ではなく、立ち位置を超えて「熱と敬意と言葉」を交わそうとする“意志”であることを示してくれてもいた1969年の5.13.900番教室に立ち現れていたものを議場に呼び込むことが、今でもできるだろうにと思わずにいられなかった。 | |||||
by ヤマ '20. 3.20. TOHOシネマズ2 | |||||
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