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『ラストレター』 | |||||
監督 岩井俊二
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僕が観るのは十六年前の『花とアリス』以来となる映画を観ながら、こんな話があるはずもないとしか思えないような物語を綴りながら、そこに豊かな情感とリアリティを宿らせるのだから、やはり岩井俊二は凄いと思った。 これまで、『ラブレター』『ピクニック』『フライド・ドラゴン・フィッシュ』『スワロウテイル』『undo』『打ち上げ花火、下からみるか?横からみるか?』『四月物語』『リリィ・シュシュのすべて』『花とアリス』と観てきて、そのほとんどが僕にとっては一級品だった彼の今回の原作・脚本・監督作品はまた、キャスティングがとても素晴らしく、すっかり魅了された。才色兼備の元生徒会長だった遠野未咲が乙坂鏡史郎(福山雅治)を袖にして結婚したDV夫の阿藤陽市を、誰にやらせているのだろうと思っていたら豊川悦司で、思わず御見事と膝を打った。彼なら福山演じるグジグジ乙坂を振らせることにも、ろくでなしDV男に成り下がることにも、ともに納得感があるように思えた。 二十余年ぶりの再会で彼が乙坂鏡史郎に告げて凹ませていた痛撃こそ、実際のところは正反対の代物で、むしろ阿藤と未咲の結婚が破綻した真因こそ乙坂の存在だったのだろう。僕自身、高校時分は、生徒会もやっていたし、部活も掛け持ちでやっていて、小説なんぞも書いていたから、いやはや諸所が琴線に触れて来ておそれいった。人の人生がそんな一片の小説に収まるわけがないとの阿藤の弁も真実である一方、一片の小説や小説にも至らぬ書き物の束が、人の心や人生を支えることがあるのも、これまた真実だと思う。 乙坂がおそらくは四半世紀ぶりに訪ねた廃校になった母校で、かつての未咲(広瀬すず)・裕里(森七菜)姉妹に生き写しの従姉妹を目の当たりにしたり、遺児が母の宝物でしたと言って差し出した四半世紀前の手紙の束に触れたりしたことのもたらした衝撃には、彼の身になって観れば、おいそれと測り切れない深いものがあるように思った。裕里(松たか子)からの「先輩は永遠のヒーロー」との言葉は、さすがに少々気恥しかったが、あの握手はなかなかよくて、とても気に入った。時間と記憶というものを手厚く描出した作品は、僕の最も好むところのものだと改めて思った。 裕里の“自分本位”にある種のあどけなさを宿せる配役は、彼女をおいて他にはなかったかもしれない。ある種の身勝手さと節度の匙加減が程よく応分感があって、観ていて気持ちがよかった。義母(水越けいこ)にとっての憧れの教師であったろう波止場翁(小室等)宅で「どうしてこんなところに口紅が…」と言いながら義母の遺留品を指で拭って色合いを確認してから「よし」と乙坂との再会に臨む姿が、なかなか絶妙だった。 未咲の遺児鮎美を演じた広瀬すずにしても、彼女の眼差しで咎められたら、阿藤(豊川悦司)も逃げ出すほかなかったろうと思わずにいられなかった。その阿藤と暮らしていた女性(中山美穂)が妊婦だったところには、もしかすると、二十余年前に未咲が乙坂を振って阿藤との結婚を選んだ事情を窺わせていたのかもしれない。中山美穂が、少々やつれ感を覗かせながらも肚の座ったところのある四十路女の貫禄を漂わせていて、ちょっと感心した。 そして、手紙というのは、やはり特別なものだと少々感慨に耽った。若き日の手紙と日記というものが、なかなか捨てられるものではないことは、間違いのないことだ。 ◎『ラストレター』追記('20. 2.20.) 映友が「乙坂と阿藤の対決場面、僕は乙坂目線で完全に凹んでいたのですが、実は事実は正反対だったというヤマさんの解釈には目からウロコでした。」とのコメントをくれた。ちょっと嬉しいところに目を留めてくれた。そのくだりは、未咲に瓜二つの鮎美(広瀬すず)が「母の宝物でした」と乙坂に手紙の束を差し出したときに、この彼女にとっての“宝物”の存在こそが阿藤を荒ませたのだろうなと思ったことから記したものだ。 賢い未咲は、そのことをおそらくあからさまにはしなかったはずなのだが、その想いが深く秘めたるがゆえにいつまでも彼女の核となっていることが、それこそ『パラサイト 半地下の家族』ではないけれども、匂ってくるという形になっていたところが、却って阿藤を苛立たせたのだろう。彼も乙坂と同じく文芸部(僕もだが)だったから、無駄に感度が良かったりするような気がする。だからこそ、まるで待ち構えていたかのように阿藤は、久しぶりに再会した乙坂を酒に誘って嬲ったのではなかろうか。 そう思ったとき、本作で中山美穂を敢えて妊婦にしているのは何故だろうかということに繋がったのだが、未咲も阿藤も、断じて鮎美にはそのことを言っていないと思う。鮎美もそのことは知らないほうがいいに決まっているのだが、何気ない裕里(松たか子)の振る舞いに端を発して今回、生身の乙坂と会い交流したことによって、母譲りの感度のよさから両親の結婚とその破綻にまつわる事々の真因に気付いたかもしれない。だとすれば、何とも可哀想な気がするし、裕里と乙坂は罪なことをしたようにも思えるが、それが是非もない人の生というものなのだろう。 だが本作では、そのことと同時に、叔母譲りの“ある種のあどけなさを宿した自分本位”のほうを得ていれば、鮎美も大丈夫だろうと思わせるものを醸し出していて、彼女については、そのどちらもありそうな余情を残していたように思う。そのあたりがいかにも岩井俊二流だと、ついついニンマリしてしまった。 推薦テクスト:「Filmarks映画情報 inotomoさんの鑑賞した映画」より https://filmarks.com/movies/80425/reviews/79257345 推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2020lacinemaindex.html#anchor003112 推薦テクスト:「シネマの孤独」より https://cinemanokodoku.com/category/title/ラストレター/ | |||||
by ヤマ '20. 2. 1. TOHOシネマズ3 | |||||
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