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『シード ~生命の糧~』(SEED: The Untold Story)['16] | |||||
監督 ダガート・シーゲル&ジョン・ベッツ | |||||
チラシの惹句に「種は人類の命そのもの。しかし種子の94%が20世紀に消滅。種子の多様性を守るために私たちのすべき選択とは?」という、なかなか痛烈な言葉の記されたドキュメンタリー映画だ。確かに本作を観ると、いま凄まじいことが起こっていることに戦慄させられるようなところがあった。 自然淘汰と市場競争のいずれもが生き残りを選別する仕組みでありながら、前者が進化といった肯定的印象を抱かせるのに対して、後者には非情な力の論理といった否定的イメージが付きまとうのは、前者が生命の原理に即しているのに対して、後者が非生命である経済(カネ)の原理に即して生命を脅かすからなのだろう。 それにしても、遺伝子組換え作物(GMO)によってアングロサクソン型強欲資本主義の権化として世界を席巻しつつある多国籍企業の悪辣さは、例えば、インドにおけるモンサントによる農民のだまし討ちが、かつてのネイティヴ・アメリカンに対する入植白人の手口とそっくりで、ハワイにおけるダウ・ケミカルに対する抗議訴訟への対応が、日本企業のチッソによる水俣病訴訟への対し方とそっくりであるように、その技術に比して実に古めかしい。人類が歴史から何も学んでいないことを示しているようで、何とも遣り切れない思いが湧いた。 遺伝子組換えは、自然界では起こらない化学反応を引き起こして強大なパワーを発揮させる技術であって、いざというときの始末のつけ方を見出せぬままに始めてしまったテクノロジーだとの指摘が痛烈だった。いわば、原子力に匹敵する“もう一つの核問題”を人類は抱えているというわけだ。まだ放射能被害のような形での顕在化が実証されていない分、よけいに不気味な気がする。 そして、脱原発、脱GMOを“我らが生き延びる道”として人類が選択できるようには、おいそれと思えない現状が何とも恐ろしいと感じた。 | |||||
by ヤマ '20. 2.21. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター | |||||
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