『最初の晩餐』
監督 常盤司郎

 なかなかコワい映画で、思わずマイク・リー監督の秘密と嘘['96]を思い出した。映画では、義母アキコ(斉藤由貴)が打ち明けた亡き夫、日登志(永瀬正敏)との馴れ初めを聴いて、遺児の美也子(戸田恵梨香)と麟太郎(染谷将太)が、迷いを抱えていた家族についての想いを深めていたわけだが、そういう結実を得ることのほうが稀なように思えて仕方がなかった。

 だが、人の生に賢愚はあっても是非は及ばないと思う僕の信条からすれば、日登志とアキコの選択を、敢えて僕が非とするのは御門違いの話だし、親の選択の元に否応なく家族再編を迫られるしかなかった連れ子たちにおいても、是非を問うたところで負わされるしかなかったことなのだから、是非も何もあったものではなく、その事実にどう向かうかしかないわけだ。その点では、まずまずどころか上々の運びを見せていた家族再編に何ゆえ楔を打ち込んだのだろうと、長兄となったアキコの連れ子シュン(楽駆)が気の毒でならなかった。十代で知らされた彼の受けるダメージには、大人になってからの美也子(森七菜)や麟太郎の比ではない酷に過ぎるものがあったように思う。ダブル不倫なんぞよりも遥かに罪深いことだと思った。

 幸か不幸か、僕の人生には、そこまでの苛烈さで負わざるを得ない事態が訪れず、危うい事態をからくも擦り抜けたような出来事が幾つかはあっても、これまでのところは家族問題で苦悩する経験をしないまま、今に至っている。ある種、薄味とも言える健康的な来し方となっているわけだ。だから、長兄のシュン(窪塚洋介)が得ているような、過酷な登山に耐え得るほどのタフさは、自分には備わっていないとの自覚がある。だが、生きる目的は、別にタフさを得る事でもないわけだから、それもまた是非もない話だと思う。

 そんなあれこれを偲ばせてくれる人生の綾と味に富んだ作品だったように思う。そういう意味からは、日登志が遺したようなレシピが自分にはないことに思い当り、その点で我が人生は、少々考えもののようにも感じたりした。『秘密と嘘』を想起した所以なのかもしれない。通夜ぶるまいとしては、精進料理よりも遥かに故人を偲ぶにふさわしい実に見事なものだったように思う。何も言わずにずっと座に就いたままだった若き僧に何故だろうと訝しみながら、後に出番があるものと思っていたら、全く当てが外れて拍子抜けした。そういった細々とした違和感というものがふんだんにありながら、味わい深さを残してくれる珍しい出来栄えの映画だったような気がする。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
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by ヤマ

'19.11.17. テアトル梅田


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