『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』['84]
 監督 押井守

 '84年2月に『すかんぴんウォーク』との二本立てで観て以来の再見だ。前年2月の『ションベン・ライダー』との二本立てによる『うる星やつら オンリー・ユー』(監督 押井守)より断然よくて、'83年度の日本映画マイ・ベストテンにも選出しているのだが、三十五年を経て観直すと、流石に鮮度が落ちていた気がする。とはいえ、オープニングで無駄に水着で横たわっている女性の登場する佇まいが、高橋留美子というよりは、初期の『ドラゴンボールZ』に通じ、先んじているような感じでもあった。

 そして、後年の押井作品を観ている目からすると、「この時分の引用は、まだまだ愛嬌があっていいなぁ」と思った。'60年代の流行り歌の詞なども引用しているからか、イノセンス['04]に感じた“空疎な知的スノッブ臭”のようなものがなく、どちらかと言えば、意味より響きや調子といった地口のような乗りで繰り出している感じが、意外にも好もしく愉しく響いてきた。ちょうど、このところ立て続けに寅さん映画を観ていたことも手伝って、ある種、寅の口上のように聞こえてきたのかもしれない。そのうえでは、非常に興味深い気付きがあった。

 寅さん映画が僕の肌に合わない大きな理由の一つに、インテリである山田監督のあざといまでの脱インテリ志向が却って作り手の持つインテリ臭を際立たせているように感じられる点が挙げられるのだが、ちょうど逆の形のようなものを押井守に感じたのだった。

 押井には山田の脱インテリ志向とは真逆のインテリ志向があるような気がする。それなのに、ロジック的なものが苦手なイメージ派で、思索を掘り下げる力に弱みがあるものだから、数々の引用が知性を欠いた御託の並べ立てのように感じられるところがあるように思う。だが、本作を撮った時点では、“地口的引用”と“キャラクターの持っている明るさ”という持ち味によって遊戯感が引き立てられ、知的弱みの露呈が図らずもカバーされているような気がした。

 そのうえでは、脳天気の極みともいうべき諸星あたる【声:古川登志夫】は無論のこと、通常なら敵役にもなりかねない夢邪気【声:藤岡琢也】も含めて、登場人物の邪気の無さ、陰の無さ、が後年作品との違いとして印象深く、高橋留美子の造形したキャラクターの強みを改めて感じた。押井自身が造形したキャラクターだとこうはいかない気がする。

 また、観賞後の茶話会では、最近になって押井守に関心が湧き、エッセイや小説も読んでみたという旧知の女性からの「全共闘運動の影響も色濃い気がする」との指摘が面白かった。押井は高校生の時分に、学生運動に手を染めていたそうだ。言われてみれば、オタク的な個を志向するよりも、群れに身を置き行動するなかでの我が道の模索のようなところがある気がする。そして、その要素は、後年の作品よりも顕著に原型的な形で本作に窺えるように思った。言葉の引用とかでの気の惹き方や恰好付けも、案外そのあたりから出発しているのかもしれない。

by ヤマ

'19. 5. 7. 高知伊勢崎キリスト教会



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