『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』['80]
『男はつらいよ 寅次郎と殿様』['77]
『男はつらいよ 望郷篇』['70]
 監督 山田洋次

 四月に入ったことだし、四十余年前の映画部の部長からの宿題にも手を付けなければと取り出した『寅次郎恋やつれ』が読み込み不能との表示だったので、裏の袋に入っているのを差し込んだら、二年前に別筋から観せてもらっていた『寅次郎ハイビスカスの花』だった。寅次郎(渥美清)の余りの腑抜けぶりに苛立ち、ゲンナリしたことは覚えているものの、ろくに話を覚えていないことに気づいて、『寅次郎相合い傘』を観たうえで観ると、どういうふうに映ってくるのかなと観直してみた。

 前回は、二年前の沖縄慰霊の日の上映会で観たわけだが、手元の記録では、寅さんをスクリーンで観るのは、'77年に早稲田松竹で『寅次郎純情詩集』を観て以来のことだったようだ。寅さんシリーズは余り好みじゃなくて殆ど観ていないので、この歳になって観ると、どのように映ってくるか楽しみだったが、寅さんのキャラは、釣りバカの浜ちゃん(西田敏行)同様に、僕にはどうにも暑苦しい。そのとき二週間ほど前に観た新藤兼人の強虫女と弱虫男ではないが、あまりに弱虫男の寅次郎に苛立ってしまう。悪意の無さではカヴァーできない威勢だけの腑抜けに見えて仕方がなかった。

 その夜の観賞後の談笑会のなかで提起された「舞台が沖縄であることの必然性の乏しさ」について、僕も異論はなかったけれど、キャバレー歌手のリリー(浅丘ルリ子)が「夢のひととき」を過ごした束の間のようなものだと語る場所として、“日本において最も日本から遠い”すなわち“現実感希薄=夢”の場所としての沖縄を、庶民的な沖縄観として作り手がイメージしていたのではないかという気がした。今でもそういう傾向があるように感じるが、僕が大学を卒業し、帰郷した'80年の作品となれば、四十年近く前なのだから、今以上に遠い地だったように思う。

 再見しても、やはり寅次郎には「どうしようもねぇなぁ」と苛立ったが、不思議とラストに対し、こういう男と女の在り方というのもアリなのかもしれないという気になって驚いた。いや、寅次郎は“男と女の在り方”とは言えないくらい去勢されているのだけれど…。やはり「相合い傘」が効いているのだろう。


 この「ハイビスカスの花」に三年先立つ『寅次郎と殿様』では、いくら勘当していたからといって、愛息の葬儀に際してそのうら若き未亡人(真野響子)に相まみえたことがないなどというのは、いかに浮世離れした殿様(嵐寛寿郎)だろうと「それはないんじゃないか」という気がしたけれども、「それを言っちゃあ御仕舞ぇよ」という寅次郎の口癖をファンから忽ち言われそうな気がして、そのことが妙に可笑しかった。

 映画の序盤での御約束事のように、久しぶりの寅次郎の帰還を巡って一騒動あるわけだが、だいたいが寅次郎の被害妄想やいじけのような気がするのに、今回ばかりは「そりゃ、鯉のぼりを隠そうとしたほうが悪いだろう」と思った。手前味噌な気遣いがお門違いの仇になるのは往々にしてありがちなことで、珍しくも寅の弁が妄想的には映らず、正論のように感じた。

 可笑しかったのは、敢えて猫ではなく犬に名付けられた「トラ」という名前を巡っての博(前田吟)との遣り取りだった。また、「トラ!」との声を耳にして反射的に繰り返していた寅次郎の「はい!」が、なんか最後の殿様の電話口での「はい…はい…」と呼応しているようにも感じた。明るく乾いた、笑いを誘う前者の「はい」の哀れっぽい感じと、かなり湿っぽく健気で苦しい後者の「はい」の哀れっぽい感じは、同じく哀感が漂っていても、性質的には対照的な気がする。

 映画部長によるシリーズ選りすぐりという作品集を観始めた早々に記したように、マドンナばかりに陽が当たるけれども、「夕焼け小焼け」の画伯に当たる人物が本作の兵頭なんだなと思うと、つぎ観る作品のそれは、どんな人物かマドンナ以上に楽しみになってきたとの部分は、けっこう重要なようだ。その意味では、「ハイビスカスの花」の高志(江藤潤)はいささか影が薄く、本作の殿様は流石で、キャラは十分以上に立っていた気がする。「夕焼け小焼け」の画伯(宇野重吉)の浮世離れとは、また一味違う殿様の浮世離れが味わい深かった。そして、それもさることながら、殿様の執事(三木のり平)のとぼけた厭味さが可笑しかった。


 そのあと観た『望郷篇』は、若くして死んだ愛息の嫁に一目会いたいと願う殿様のディスクの裏袋に入っていたのだが、今わの際の渡世人が不義理を残したまま会ったことのない息子に一目会いたいと願う作品だった。苦手としていた寅さんシリーズを観始めたときに車寅次郎(渥美清)の暑苦しいキャラがどうも肌に合わなくて、その天衣無縫が傍若無人に見え、純情が妄想癖、人好しが独善お節介にしか映らないなどと嘯いていた僕が、ここにきて、これはいいじゃないかと気に入る作品と出会った。

 何と言っても、寅さんが暑苦しくない。それどころか、むかし世話になった親分との義理を果たそうと、蒸気機関車の機関士助手として働いている親分の息子(松山省二)を探し出し、見舞いを説き伏せようとして逆にヤクザな人生の末路の厳しさを知らされる、実に神妙な顔つきで聴き入る姿に端的に現れていたシリアス感が、これまでに観た他の作品にはない味を醸し出していたように思う。脚本参加の宮崎晃の持ち味なのかもしれないし、初期作品のカラーなのかもしれないが、おいちゃんを森川信が演じている時期の作品をきちんと観るのは初めてなので、よく判らない。もう少し他の作品を観たら、鮮明になってくるのかもしれない。

 初めて寅次郎の失恋に同情するというか、シンパシーを覚えた。これなら確かに「男はつらいよ」だと思った。寅次郎のキャラにおける真摯さとして、その堅気になるという決意も、豆腐屋で節子(長山藍子)と所帯を持ちたいという願いも、真っ当なものとして伝わってきた気がする。この頃は、寅次郎がヤクザ稼業と自嘲する的屋の職業としての感じもよく出ていた気がするし、ドラマとしての充実感があったように思う。

 オープニングの夢も、芝居小屋の出し物のような夢ではなく、旅暮らしの生活のなかで見る夢としての現実感があって、これまでに観た他の作品群とは一線を画していたように思うし、とらやでの騒動にもルーティーンとしてのセレモニー感がなくて、好もしかった。

by ヤマ

'19. 4. 1. WOWOW録画
'19. 4. 4. BS2録画
'19. 4. 6. DVD



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