『男はつらいよ 夕焼け小焼け』['76]
『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』['75]
 監督 山田洋次

 五千本を遥かに超える映画を観ている僕だけれど、寅さんシリーズはどうも苦手で、森川信や松村達夫がおいちゃんをやってた作品は、TVかなんかで数本観ている気がするものの題名に記憶はなく、映画館で観た「男はつらいよ」は、'77年に『寅次郎純情詩集』['76]を観たっきりだ。そんな惨状を告げたからか、高校時分の映画部長から、還暦で観ての寅さんベストテンを選出するよう命を受けた。僕は、車寅次郎(渥美清)の暑苦しいキャラがどうも肌に合わなくて、その天衣無縫が傍若無人に見え、純情が妄想癖、人好しが独善お節介にしか映らない。それがあって、敢えて劇場で観ることなく来ていたわけだ。

 預かったDVDのたまたま一番上になっていた盤を差し込んだら『夕焼け小焼け』['76]だったのだが、奇しくも僕が大学進学で上京した年の作品だった。あの頃、葛飾柴又にはまだ薪風呂があったのかと驚いたが、街の風情や衣装には懐かしいものがあった。

 しかし、先ごろ観たばかりの七つの会議での八角の登場にもぼやいたような序盤での画伯(宇野重吉)の露悪的な安い登場演出や、タコ社長(太宰久雄)と寅さんの掴み合う喧嘩というかじゃれ合い、龍野市での公費接待を受けての御大尽遊びに悦に入っている姿などを観ながら、少々辟易としていたのだが、芸者の牡丹(太地喜和子)が上京してきたあたりから、ようやく面白くなった。

 画伯宅へ乗り込んできった寅の啖呵は、よかった。でも、市長(久米明)にしろ画伯にしろ、世にセンセイと呼ばれる人々の“浮かせた扱いの描出”がいささか安っぽい。お高くとまるまいとの構えが、まるで羹に懲りて膾を吹くような按配でいただけなかった。折しも街では、森昌子の歌う♪せんせい♪が流れたり、オープニングは、あの当時、バカ当たりしていた『ジョーズ』['75]だったりしていた。そういうところをそつなく拾ってきて“庶民的”を演出しているところにも脱インテリ志向の山田洋次の妙なインテリ臭が漂っていて、素直に笑えなかった。へんに安い擽りが随所にあり、インテリ山田監督の思っているであろう“庶民性”という構えが、妙に気に障るようなところがあっての苦手だったことを改めて思い出した。

 だが、寅さんシリーズのもう一つの売り物であるマドンナについては、若き太地喜和子がなかなか弾けていて魅力的だった。なにしろ、明るい! あの頃は、まだ重厚さが備わってないから、軽やかで実によろしかった。


 『夕焼け小焼け』に次いで観たのは、裏面に同封されていた前年作品『寅次郎相合い傘』。こいつはちょっと小気味が良かった。寅次郎(渥美清)をリリー(浅丘ルリ子)がぴしゃりと咎めた指摘がまことに当を得ていて、作中の「とらや」の面々が快哉を挙げていた。返す言葉もなく「とらや」を逃げ出て行く寅次郎の情けないイタさがまた効いていたように思う。

 そのリリーのキャラは、先に観た「夕焼け小焼け」の牡丹以上に魅力的で、さっぱりとした気丈と明るさで通じながらも上回っているように感じられたのは、牡丹のような弾ける若さにはない年季を感じさせる女の器量ゆえなのだろう。

 二人が再会した函館も、人生に迷った兵頭(船越英二)に自由を体感満喫させる“突然炎のごとき”三人旅を楽しんでいた小樽も、僕には少々懐かしい旅先で、また北海道を訪ねてみたい気になった。とりわけ小樽は、二十年近く前にネットで知り合った札幌在住の映友女性の案内で、岩井俊二の『ラブレター』['95]のロケ地だと紹介してもらいつつ散策した街で、彼女の描いてくれた僕の似顔絵が手元に残っていることを思い出した。また、札幌に出張した際に同僚と足を延ばして訪ねた函館では、ロープウェイの麓の店で食した茶漬けが美味く、登って観た夜景の周りは尽くカップルで、同僚と「なんか俺ら、場違いじゃね」と顔を見合わせたのだった。

 マドンナばかりに陽が当たるけれども、「夕焼け小焼け」の画伯に当たる人物が本作の兵頭なんだなと思うと、つぎ観る作品のそれは、どんな人物かマドンナ以上に楽しみになってきた。

 相合い傘とのタイトルは、寅次郎とリリーの“自由人としての生き方を貫く二人の相性”を指したものだろうと思っていたら、最後にまさしくその場面が登場したものの、録画状態が悪く画像が乱れて中断してしまったのが残念だった。寅次郎の持つ傘の握りの上のほうに手を差し入れ握りしめていたリリーの手が美しく、兵頭が宿の布団で眠るに寝られず過ごしたであろう一夜に差し入れてきた足以上に、冷たくかじかんでいたような気がしなくもなかった。

by ヤマ

'19. 3.14,17 NHK BS2録画



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