『私はワタシ over the rainbow』
 監督 増田玄樹

 オープニングで監修者の長谷川博史自身の朗読によって披露された詩熊夫人の告白2/血の問題は圧巻だったが、本作に収録された当事者たちの声はいずれも、やはり肉声だけにインパクトがある。どこかに必ず居場所はあるから今いる場所に留まって苦しまないで移動するよう訴えていた、はるな愛の言葉も真実だし、誰かが言っていた、どこに移動してもLGBT差別はあるのだから、その場を変えていくしかないとの言葉も真実だと思う。皆人が真摯で率直な言葉をインタビュアーであり、企画者である東ちづるに返していた。そして、実にポジティヴに生きていた。

 マイノリティといっても、左利きやAB型血液の人と割合的には変わらないくらいいるのだという。その統計値にどこまでの信憑性があるのか、その値がいかなる調査手法によって導き出されたものかは、折しも今の国会で大騒ぎになっている政府統計問題同様に定かに示されていたわけではないが、決して極一部の人たちとは言えない感じは、僕自身の生活感のなかにおいてもあるような気がしている。

 そのようななか、本作でひときわ光彩を放っていた杉山文野が「次に生まれ変わることがあったら、男でも女でもどちらでもいいから、噛み合って生まれたいと思う」と語っていたのが、最も強く印象に残っている。戸籍も変え、手術も行ったという杉山文野がいかに沢山のいかに難儀な事々を越えてきているかが偲ばれるように思った。先ごろ観たばかりのカランコエの花の小牧桜も苦難あればこその自覚的な甲斐ある人生を歩むことになるのだろう。しかし、それは当人自身が望み求めてのものとばかりは言えないわけだと改めて思った。

 また、ゲイ文化に自負を抱き、愛でているゲイたちが、いまのLGBT運動に冷ややかであるとの長谷川博史の話も興味深かった。むしろ特異性をアイデンティティにしている者にとっては、それが普通のことになる社会づくりというのは、言うなれば、自身のアイデンティティを喪失させるムーヴメントのように感じているのかもしれず、さもあらんなどと思った。

 まことに複雑でデリケートな問題であることを改めて思う。僕自身は、自分のセクシャル・アイデンティティについぞ疑問も不安も感じた覚えのない至って凡庸な存在なのだが、思えば、かなり若い頃から今で言うところのLGBTには関心が強く、そういったものをモチーフにしている映画などは、むしろ積極的に観て来た覚えがあるのだが、それは何故だったのだろうと今更ながらに思った。

by ヤマ

'19. 2.24. 県立人権啓発センター6Fホール



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