『500ページの夢の束』(Please Stand By)
監督 ベン・リューイン

 姉オードリー(アリス・イヴ)が施設長のスコッティ(トニ・コレット)に洩らしていた「私たちはウェンディ(ダコタ・ファニング)を過小評価していたかもしれない」との言葉をもたらす彼女の成長に最も貢献したのは、ウェンディの冒険旅行の初期に遭遇した、乳飲み子を連れた強盗男女だったような気がした。結果オーライだからといって彼らの強盗行為を是認するものではないが、ここには、特別支援を要するとされる障碍者ケアに係る非常に重要な難題が潜んでいる。

 彼らがウェンディの金を奪い、騒音の苦手な彼女を守っていたiPadを奪わなければ、ウェンディにあれだけの成長機会が得られなかったであろうことを思うと、遠い日に障碍児施設で児童指導員を経験したことのある僕は、少々複雑な思いに駆られた。

 曜日ごとに着る服まで定めていて日々のルーティーンが乱されるとパニックに陥っていたはずの娘が、朝のシャワーが浴びられなくても着替える服がなくても何とか持ち堪えられるようになり、街の騒音が気になって耳を塞ぎながらでも、叫び声をあげることなく通り抜けられるようになっていた。そして、近所のマーケット通りの交差点を横断することさえ叶わなかった彼女が、最後には見知らぬ地のスタジオに車道を渡って一人で乗り込んでいく。

 姉も施設長もその息子も、誰ひとり付き添うことなく車に腰掛けて見守っているのがいい。自閉症を負っていない普通の二十一歳に対してさえ、付き添うことを思い留まるのはつれなく思われる局面だけに、見守る彼らの想いが伝わってくるような気がした。その後には、普通の人でもキレてしまうような思わぬ難関が待っていたのだが、パニくることなく自身の機知で切り抜ける。そうして迎えたエンディングにも節度があり、過剰に劇的に盛り上げない好もしさがあって感心した。

 それにしても、クリンゴン語の話せる警官を演じていたパットン・オズワルトが、実に美味しいところを持っていっていたように思う。施設長の息子といい、スタートレック・ファンに悪人はいないどころか、素晴らしく気の利いた奴ばかりというわけだ。

 僕自身は、特にスタートレック・ファンということではないけれども、スコッティと違って『スターウォーズ』『スタートレック』の区別はついているし、カークがエンタープライズ号の船長だということくらいは判る。しかし、熱心なファンの間では、クリンゴン語で実際に会話ができるというのは、思い掛けなかった。何とも凄い話だが、追われ怯えていたウェンディが警戒心を解く運びにおいて、これ以上のものはないように思った。いい映画だ。
by ヤマ

'19.3. 2. 喫茶メフィストフェレス2Fホール



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