『天才作家の妻 -40年目の真実-』(The Wife)
監督 ビョルン・ルンゲ

 ジョーンを演じたグレン・クロースは、確かに芸達者で好演していたように思うが、夫ジョゼフ(ジョナサン・プライス)の受賞が初めてではなく、事もあろうにノーベル文学賞だとなると、そこに至るまでの間にどうしてこの爆発が生じなかったのか、腑に落ちなくて仕方がなかった。なにせセレモニー以上に重要だと思しき王室晩餐会に穴を空けさせ、意図しないことだったとはいえ、ジョゼフを心臓発作で死に至らしめるほどのストレスに追い込む激しい爆発を見せていたのだ。流石に唖然とした。それだけノーベル賞は特別なもので、言わば、凡人家庭が宝くじの当選で崩壊するようなものだとでも言うのだろうか。

 だが、ジョーンが四十年間抱えていたとする屈託の本質的なところからすれば、ノーベル文学賞受賞に至る実績を重ねるまでの過程において、当然のように露呈していて然るべきものだと思わずにいられなかったし、共同執筆の自負によってそれを抑圧し得てきたのであれば、晩餐会での夫のスピーチの言葉尻で今更あれほど激昂するとは考えにくい気がした。双極性障害というのではないにしても、異様に感情の振れ幅が激しい人物として取り立てて設えているようでもなく、違和感が募った。

 若き日のジョーン(アニー・スターク)が作家を目指していたときに、先駆の女流作家(エリザベス・マクガヴァン)から女流で書いても誰も目に留めない認めてもらえないと覚悟を促されていたのは、いつ頃だったのだろう。ユダヤ系の若い書き手は誰かいないかとの声が出版社内で挙がっていたときの感じからすると、'60年代のような気がしたから、それからの四十年であれば、その間ずっと女流であるがゆえに名乗りを挙げられない抑圧に彼女が苦しむ必要は、そもそもなかったはずなのに、なぜそうしてきたのだろうとの疑念が湧く。出版社にも勤めていたらしい状況からすれば、その後の業界事情の変化を知らないはずもなく、疑念は募る。とりわけ'60年代から新世紀にかけての四十年は、一世代とは思えない物凄い変化があったのに、物書きの彼女が古い結婚観に縛られ続けているというのは、不自然に思えた。

 また、性懲りもなく浮気を重ねていた夫への愛と献身ゆえとすれば、それで四十年も抑えてこられることだったのなら、何も王室晩餐会であのような激昂を見せるとは思えないし、秘めたる自己実現欲を失うことがなかったのだとすれば、子供の育ちも疾うに済んだ老境に至る前に、彼女が自身の名で筆を取らないはずがないと思えて仕方がなかった。

 そこで気になってきたのが、早々に登場していた伝記作家のナサニエル(クリスチャン・スレーター)の存在だった。本作のキーワードは“騙り”なのではないかという気がしてきたのだ。構成的には、ノンフィクションライターのW.W.ボーチャンプによる聞き書きの形を取っていた許されざる者['93]と同じく、本作は、ナサニエルの聞き書きの態を取っていたから、回想の部分も含めて総てがジョーンと息子デヴィッド(マックス・アイアンズ)からの、ある意味一方的な、遺族証言のような形になっていた気がする。

 共同執筆であったのは間違いないにしても、ジョーン自身が着想力は彼に及ばないと語っていたように、ジョゼフ抜きでは執筆できなかった部分に対して、彼がどのように臨んでいたか実際のところは判らないのだが、ジョーンの心象においてはこうだった、ということなのだろう。それで言えば、ジョーンの口から発せられていたと思しき“ジョゼフからの感謝の弁”は、実は相当割り引かれなければならないものなのかもしれない。同様にもしかすると、本作の冒頭で描かれていた、夜更けに先に寝入っていた老妻を起こして「何もしなくていい、そっとするから」と弁解しながらも熱っぽく囁き愛撫を重ねて身体を求めてくるジョゼフの姿というのも、嘘ではなくてもそれ相応に割り引いて受け取るべきものだったのかもしれない。観る側にそういう想起を促すために設えられていたオープニング・シーンだったとすると、なかなか手強い作品とも言うべきものがあって、『許されざる者』に比肩するのかもしれないと思ったりした。ジョゼフの浮気三昧のことも含めて、この作品で語られたエピソードのかなりの部分は、ジョーンにとっての真実ではあっても、事実そのものではない可能性が非常に高いという気がする。それだけの屈託を抱えてしまうのが、原題の示す「The Wife」ということなのだろう。なかなかに怖い話ではある。

 だが、ノーベル文学賞受賞に至るまでの間ずっと、共同執筆であることを実際に隠し通せるものなのだろうか。ジョゼフが息子から指摘されていた、自作の登場人物の名も覚えていないなどということは、むしろ作者においては、必ずしも珍しいことではなかったりするのではないかと思ったけれども、そういう表層レベルとは違う部分で、それこそ、編集者などには知られてしまうことのような気がしてならない。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20190203
by ヤマ

'19.12.17. あたご劇場



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