『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(Ex Libris:The New York Public Library)
監督 フレデリック・ワイズマン

 前々日に観た『ジョン・ウィック:パラベラム』でジョナサン(キアヌ・リーヴス)がメダルと金貨とクロスを取りに行って、本を武器に刺客と格闘した“ニューヨーク公共図書館”を捉えたドキュメンタリー映画だ。ちょうど八年前に当地にも来ていたワイズマンによる二年前の新作は、なかなか観ることができないだろうと思っていた作品なので、思い掛けなく早く観られて驚くとともに、とても嬉しかった。しかも、ワイズマンの3時間を超えるドキュメンタリー映画に、何故これだけの人が?と思うような盛況で、一体どうしたことかと大いに驚いた。

 図書館を超える図書館として世界に冠たるNYPLは、その名のみぞ知る存在だったので、“知の殿堂”のイメージを遥かに超えた「これぞパブリック・サービス!」と言える幅が広く深い住民ファーストの活動展開に本当に畏れ入った。そして、それを支えている体制こそがまさに“民主主義の柱”だと思った。

 生涯教育と社会性の啓発として実施している各種のレクチャーやワークショップにおいては、幼児教育にまつわるものは言うに及ばず、教員技能向上プログラムや美術・デザイン創造プログラムから移民の市民権取得相談まで開設していて、圧倒された。チラシによれば、本館に加えて92もの分館があるようだ。いくつか映し出された分館のなかでは、黒人文化研究図書館の90周年セレモニーの挨拶で「あえて“必要な面倒事”を引き受け果たすことにこそ、公共施設の役割がある」との先人の言葉を引用していた館長が、後の場面で現れた「利用者と膝を突き合わせて意見交換している姿」ともども特に印象深く、我が国の文化庁や各公共施設の長の職にある人に見習ってもらいたいものだと思わずにいられなかった。

 民間からの寄付金と活動資金の6割を占めるニューヨーク市からの補助金による公共施設たる図書館の予算編成に係る幹部会議のなかで繰り返されていた議論も興味深く、補助金寄付金ともに身銭ではない“公金”を執行するという社会的責任について多くの言葉が発せられていたなかで、政治的メッセージを発することが重要だと明言していたことに心打たれた。そこには「政権への忖度」など微塵もない気概と誇りによるストラテジック・マインドがある。それに足るだけの活動をしていればこそ、ではあろうが、真っ当な使命感を以て職務に臨んでいる人たちの姿は、スタッフ含めて、やはり頼もしく美しい。

 図書館の使命は、蔵書にあるのではなく、住民の知識と思索を深めることだというような言葉を発していたのは、とあるレクチャーの講師だったように思うが、そのうえで考えるべき蔵書について、今の時代ならではの電子図書か紙媒体か、貸出図書か研究用図書か、ウエイト付けをどうすべきかの議論も目を惹いた。余りに割合が高いので字幕の読み違いかもしれないが、市民の3分の1がインターネット利用ができていないとのことでIT教室を開くばかりか、ネットへのアクセス機器(モデム?)の貸出までやっているなかで、人気のある電子図書の貸出件数を増やすことが使命ではなく、10年後にはもう閲覧自体が困難になりそうな優れた研究用図書を紙媒体で備えることの重要性を明言していた幹部会議の様子に感心した。

 図書館では、コンサートや絵画・写真の展示も行われていたが、レクチャーでは、エルビス・コステロが父親の歌う♪If I Had A Hammer♪に高校時分にPPM(ピーター,ポール&マリー)の歌で接したことを思い出し、パティ・スミスがジュネについて語るのが目を惹いた。また、映画化作品を十一年前に観ている『コレラの時代の愛』の読書会での忌憚のない意見交換が面白かった。

 音楽やナレーションを一切挟まないいつものスタイルのなかでピアノ演奏が聞こえ始めたので、これでエンドロールだなと思ったら、案の定そうだった。であれば、あの演奏は、やはりキース・ジャレットによるヘンリー・パーセルなのだろう。

 本年五月の公開時には新聞でも比較的大きな紹介記事が掲載されていたらしいが、そのとき以上に、文化行政とは何かが問われている今こそ、多くの人に観てもらいたい映画だ。ワイズマンは、昔に比べて、素材に切り込む鋭さの点ではかなり丸くなった気がするけれども、相変わらず達者な編集力が見事だし、なんと言っても社会的装置の核心を掴む力が素晴らしい。
by ヤマ

'19.11. 4. 美術館ホール



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