『ちいさな独裁者』(Der Hauptmann)
監督 ロベルト・シュヴェンケ

 いかな敗戦目前の混乱期にあったとはいえ、常軌を逸した事件だが、実際に起こった事件だというから恐れ入る。その立役者たるヘロルト脱走上等兵(マックス・フーバッヒャー)を描いて、冷酷な異常者にも、狂気の人にもせずに、確信的に“普通の人”として造形して、傑作炎628['85]を思い起こさせてくれた、監督・脚本のロベルトに感心した。

 戦争が悪なのではなく、戦争は“人間の悪を引き出しているだけ”だということに、暗澹たる想いが湧いてくる。だからこそ、戦争や激烈な競争社会は断じて回避しなければいけない。人間は、フェアに競い争えるほどに上等ではないということだ。

 ただ一度だけの奇跡のような巡り合わせで大尉の軍服をまとった脱走上等兵は、権力者に成りたかったわけではなく、生き延びるために役者も裸足の演技力を発揮していたのであって、彼の冷酷と残虐を引き出したのは、彼に合流したキピンスキー上等兵(フレデリック・ラウ)であり、脱走兵収容所を管理するシュッテ大尉(ベルント・ヘルシャー)や脱走兵狩りを愉しむユンカー大尉(アレクサンダー・フェーリング)だったように思う。彼らに正体を見破られてはならない保身のための過剰反応が必要以上の“毅然”をヘロルトに身構えさせたことで、収容所での脱走兵の集団殺戮が起こったように描かれていて、大いに唸らされた。ラストシークエンスでの現代での“ヘロルト親衛隊”の行状を描くまでもなく、今でもどこでも起こり得ることなのだし、起こっていることなのだ。

 嗜好としての暴虐を個人的に尽くしたいからではなく、必死の保身であればこそ、歯止めが利かなくなる集団力学というものの怖さが痛烈だった。現今でも、どうしてそんな酷いことを為し得たのかを思うと、もはや“個々人では制御不能になる集団の力”によるものとしか考えられないような出来事が頻出している気がする。

 だが、たとえ止む無くであろうとそこで川を渡ってしまった人間は、もう元の岸辺には戻れなくなるわけだ。ヘロルト的には、言わば、自衛のための殺戮だったわけだが、それを指揮命令したことで悪の権化へと転生してしまう。大尉を装い始めた頃に覗かせていた怯みや怖気を見せなくなるにつれ、悪行への怯みや畏れも失せていく。さらに加速させたのが英軍の空爆によって拠点を壊滅され、九死に一生を得たことであったにせよ、わずか一年にも満たない期間での変転ぶりが空恐ろしかった。そして、そのヘロルトが自身の欲求としての処刑を行なったものが、女色絡みのキピンスキー殺害だったところがまた、猟奇的な異常性とは程遠い凡庸さの最たるもので、実に痛烈だった。

 権力とそれに付き従う者は必ず腐敗していくことを絵に描いたような物語だ。権力の座に耐え得る人間は、そうそういるものではないのだ。だからこそ、長らくその座に付いていてはいけないのだと改めて思う。

 ましてや嘘をつき重ね、演技で煙に巻く術でそれを手中にさせることがいかに怖ろしいことかを描いて余すことのない作品だったような気がする。ヘロルトに付き従うしか生き延びる術のなかった目撃者たるフライターク上等兵(ミラン・ペシェル)が折々で見せていた得も言われぬ表情が利いていた。
by ヤマ

'19. 7. 4. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>