『女王陛下のお気に入り』(The Favourite)
監督 ヨルゴス・ランティモス

 凄い映画だ。これだけ強烈な造形は、おいそれとできるものではない。ましてや歴史に残る実在の王室の物語だ。そういう思いも手伝い、非常に刺激的で、滅法おもしろかった。かくも歪んだ世界を御覧あれとばかりに歪曲させた映像で宮廷生活を描き出し、その周到で醜怪な権力闘争の切実さと滑稽さをグロテスクなまでの猥雑な悪趣味と絢爛豪華な映像美で繰り広げ、ある種の哀感とともにシニカルなエンディングを用意していたかと思っていたら、エンドロールで流れたのは、エルトン・ジョンのナンバーのなかでも最もお気に入りの一つである♪スカイライン・ピジョン♪だった。アン女王(オリヴィア・コールマン)の寵愛を受け、レディ・モールバラと呼ばれつつ権勢を誇っていた従姉のサラ(レイチェル・ワイズ)を追い落として後釜に就いたアビゲイル(エマ・ストーン)をあたかも“大いなる飛翔を遂げたスカイライン・ピジョン”だと称揚するかのような歌声を聴きながら、その痛烈な皮肉に唸らされた。鳩は飛び立っても撃ち落される宿命にあるわけだ。劇中で繰り返されていたサラとアビゲイルの射撃を思い起こさずにいられない。サラを真似てアビゲイルがめきめき腕を上げていく姿を端的に示していたのだけれども、それだけではなく、いずれ撃ち落されるのは彼女たち自身でもあるということなのだろう。

 思えば、父親の博奕のカタにドイツ人のぶよぶよ男の元に遣られて上流階級から転落し、帰国しても女中奉公に身をやつして、糞尿混じりの泥土塗れにされても自身を見失わない気丈さを備えつつ、サラから「優し過ぎる」と評された育ちの良さも失っていなかったアビゲイルが、絶対権力に取り入って伸し上がる処世術をサラから学び地歩を固めていくにつれ、悪に染まっていく姿が痛烈だった。過酷な境遇さえも蝕むことのなかったアビゲイルの品性を徹底的に損なわせていったものが何だったかを思うだに、権力機構のなかに身を置き野心を抱くことの恐ろしさを思わずにいられない。

 愚鈍であれば、かくも激烈な闘争に鎬を削ることも叶わないから、損なわれるものも少ないのだろうが、サラにしてもアビゲイルにしても人並み外れた才覚と胆力を備えていればこそ、深みに嵌っていくわけだ。そして、二人が並み居る男たちの太刀打ちできないような苛烈さでパワーに執着するのには、当時の“女性という抑圧された存在”の側にいればこそという側面も窺えて痛々しかった。パワーの源を失えば、サラでさえも忽ち売春宿で客を取らされかける“女性”なのだし、アビゲイルの復権には上流階級の男との結婚を欠くことができない。アビゲイルが毒を食らわば皿までと化していくのも、ある種の必然で、まさしくサラもそうだったように、ついつい遣り過ぎてしまうのが人間なのだろう。

 そういうことを考えると、アビゲイルは確かにサラから学んだのだろうが、彼女たちを生み出しているのは他ならぬアン女王だと思わざるを得ない。そして、その絶対権力者たるアン女王の絶対的な孤独がいかんなく描き出されていたところがいい。天賦のものとして持っていようが、手段を択ばぬ闘争で勝ち得ようが、強大な権力というものは人の手に余るものなのだろう。

 アビゲイルの舌技の前に敗れ去っていったサラを演じたレイチェル・ワイズが精彩を放っていたように思う。暖炉の火に切り札ともなる手紙をそっとくべている姿に窺えた“真情としての親愛”は、他の誰一人とも備えていなかったものに違いない。彼女とて、それのみであったわけでは無論ないのだが、彼女にのみ、それがあったということだろう。

 ヨルゴス・ランティモスの監督作品は、聖なる鹿殺ししか観ていないが、他の作品も俄かに気になってきた。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970494983&owner_id=3700229
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20190219
推薦テクスト:「Banana Fish's Room」より
https://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/91312c104264435b3dcd81e8802b3fd8
by ヤマ

'19. 2.22. TOHOシネマズ1



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