『オアシス』(Oasis)['02]
監督 イ・チャンドン

 '04年度のマイベストテンの第1位に選出した作品を十五年ぶりで再見する機会を得た。前回観たときは初見だったので、その後の展開を当然にして知らなかったから、さして記憶にも残っていなかったのだが、今回再見の機会を得て、英雄将軍の末裔だと自称したジョンドゥ(ソル・ギョング)が序盤でコンジュ(ムン・ソリ)から、その将軍は反逆者だともされている人物だと揶揄する場面があったことに気づいた。脳性麻痺で発語を充分にできないコンジュが豊かな教養を備えていることを示すとともに、前科者のジョンドゥを作り手がその立ち位置から造形していることを宣言していたわけだ。そのことは観終えると判るのだが、刑務所から出てきたばかりの彼に対し、序盤でそういうふうに示していたのかとすっかり感心した。

 また、十五年前に観たとき光の蝶や街路樹の影の幻想的なイメージ、オアシスのタペストリーから小象や踊り子や少年が抜け出したり、脳性麻痺から自分が脱したりするイメージなど、コンジュの心象として浮かぶ様々なイメージと記していたものが、今回は、少々異なって映ってきた。最後の地下鉄ホームで現れた“脳性麻痺から脱したコンジュのイメージ”は、彼女が観たものではなくて、遂にジョンドゥが観るに至ったイメージのように感じられたのだ。だからこそ、そのとき約した“魔法”をコンジュに見せることに彼は執着したのだとも思った。その魔法こそが、オアシスのタペストリーに映ってコンジュを怖がらせる“揺れる枝の影”を消し去る魔法のことだったわけだ。

 その魔法を果たし得たジョンドゥは、それゆえまさしく英雄であり且つ反逆者だったわけだが、僕の眼には、二人の出会いによって救われたのは、コンジュ以上にジョンドゥであるように映ってきた。極度の緊張により警察では証言の果たせなかったコンジュも裁判までには事の次第を証言するには至っていたのだろうが、前科があるうえに留置所破りをしたばかりか、通りすがりの若い女性の首に手を回して刃物を充て携帯電話を奪い、公道にある街路樹の無断伐採を行って夜中に騒乱を引き起こしたのだから、実刑を免れることは困難だったにしても、そう長い刑期ではなかったのではなかろうか。既に服役経験もあるジョンドゥがさほど苦にしてはいなさそうな様子は、獄中からコンジュに宛てた手紙の文面にも窺えるように感じた。

 心待ちにできる未来があるということが、どれだけ掛け替えのないものなのかを映し出していたエンディングは、十五年前よりも遥かに世の中の先行きが心許なくなっている今現在、よりいっそう沁み渡ってくるような気がした。人の心に潤いをもたらすものは何よりも、自分の存在を必要とし求めてくれる人の存在であり、そのことを実感できる居場所なのだとしみじみ思う。それがゆえの作品タイトルであり、タペストリーというわけだ。実に大したものだ。
by ヤマ

'19. 2.11. 高知伊勢崎キリスト教会



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