『日日是好日』
監督 大森立嗣

 場場是好場とも言うべき“場面とショットの美しさ”に惚れ惚れしつつ、じんわり押し寄せてくるような感銘を受けた。四十年近くやっているバドミントンにしてもそうだが、習ったり型に嵌められることが極めて苦手な僕は、何でも我流でやってしまう。決まり事を忠実に守り、言われたとおりにすることができない。子供の時分には、先ごろ観た夜間もやってる保育園』の拙日誌にも綴ったように、今の時代だと普通学級には置いてもらえなかったと思われるような多動性を、小学校の高学年になっても発揮していたりした。

 その一方で、というか、だからこそかもしれないが、自分には到底できない、きちんとした型を身につけた所作を流麗あるいは自然にこなす姿を観るのは大好きで、バレエとかフィギュアスケート、体操、クラシック音楽のライブなどを観ると、その美しく鍛え上げた身のこなしに惚れ惚れとしてしまう。茶道の精神性というようなものには多少惹かれるところもありながら、ただただ窮屈なイメージの強かった“作法”というものが嫌だったが、どうやら茶の作法もそのようなものらしく、武田先生(樹木希林)の言う「なんでも頭で考えるからそうおもうのねぇ。…頭で考えないで、自分の手を信じなさい。」といった言葉を聴きながら、まさしくスポーツと同じような身体性を鍛える世界なのだなと思った。

 典子(黒木華)が武田先生から「あなたもそろそろ教えてみるといいわ」と言われるに至ったのが二十歳から始めての二十四年後だったが、茶の道とも言われる世界に擬えるかのように、理解し感動するのに典子が二十年掛かった映画として挙げられていたのが十歳の時に観たフェリーニの『道』だったりしたことに、感慨深いものがあった。映画の自主上映活動に僕が携わったことがあるせいでもあろうが、タイトルの道つながりで選ばれただけではないものを感じたからだ。『道』こそは自主上映の代名詞的な作品で、かつてどこの鑑賞団体でも取り上げないところはない王道作品だという印象が強く残っている。

 その『道』に覚える感動を知らずに過ごすのは勿体ない人生だと典子は語っていたが、簡単に解ってしまう物事ではなく、時間を掛けて触れることで味わいの得られる物事というのは確かにあって、僕などもそういうもののほうが好きな質だから、本作が追った1983年から2018年までの典子の三十五年を味わい深く観た。樹木希林が先ごろ亡くなったことを知っているせいもあるかもしれないが、典子が父親(鶴見辰吾)の急死に悔恨を深め自責の念を負っている姿を慰める場面が心に沁みて来た。茶菓子、茶器、場の佇まいが本当に美しく、「不苦者有智(ふくはうち)」「聴雨」の軸が心に残った。

 また、就職に臨む姿勢が若かりし頃の僕と全く同じで浮世離れしていた典子と、現実と今を生きることに長けていた美智子(多部未華子)の対照もよく効いているように思った。他のキャストも含め、演者を楽しむ作品でもあったような気がする。
by ヤマ

'18.10.20. TOHOシネマズ5



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