『羊と鋼の森』
監督 橋本光二郎

 原民喜の『沙漠の花』からの引用明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐるが心に残る、それに見合った作品だと感じた。

 マエストロやヴィルトゥオーゾには至らずとも、ひとかどの技量を備えた名もなき人物は、巷に数多いるとしたものだが、その“ひとかど”を希求し真摯に向かう生き方は、やはり清々しく気持ちがいい。どんなに奥深く森に分け入ろうとも、あの子は必ず迷わずに戻って来たとの祖母(吉行和子)の言葉を外村(山崎賢人)は、調律の分野においても叶えていくのだろう。鈴木亮平&三浦友和という当該世代随一の好漢役者を配して、ピアノという楽器の音色からフォルムに至る美しさを繊細かつ精緻に描き出していて感心した。

 非常に映画的な世界だったので、これをどのように文字にしているのか、原作を読んでみたい気になった。とりわけ、佐倉和音(上白石萌音)の鍵盤を奏でる手指が森の池の水面を撫でるように映し出されていた場面が気に入った。

 うちにもピアノがあるが、14年どころか、もう20年以上も調律してないような気がして、映画を観ながら少々胸が痛んだ。でも、この映画の引き籠り青年(森永悠希)のように♪子犬のワルツ♪が弾けるわけでもなく、弾き手がいないまま放置しているのだが、子供らが幼い時分には、僕も少しだけ一緒に触っていたこともある。三人の子供たちが皆、近所の先生について習っていたときに、まるでつたない技量でも高級ピアノではなくとも、弾き手によって音色が変わることに驚いた覚えがある。最もいい音を出していたのは、一番年下の長女だったのだが、練習が嫌いで身につかず、最も真面目に長く続けたのは長男で、最も早く辞めてしまったのが次男だった。

 青年の演奏を聴きながら、14年ぶりに弾いて、あんなふうに弾けるものではないと思ったが、そこはこの映画の場合、万引き家族と違って気にならなかった。なぜだろう。元々が現実感を求めているような題材ではないということだけでは片付かない何かがあるように感じた。

 エンディング・テーマの“The Dream of the Lambs(羊の夢)”を聴きながら、ジブリ映画のようだと思ったら、やはり久石譲だった。




参照テクスト:宮下奈都 著 『羊と鋼の森』読書感想
 
by ヤマ

'18. 6.22. TOHOシネマズ6



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