『LISTEN リッスン』
監督 牧原依里&雫境(DAKEI)

ヤマのMixi日記 2017年09月03日21:52

 58分間無音で綴られる聾者による音楽表現を観ながら、聾者と音楽ということでは、二十二年前に観た音のない世界で(監督 ニコラ・フィリベール)から受けた感銘には及ばないと思ったが、15人のパフォーマーのヴァリエーションは、なかなか興味深かった。

 音楽というよりもパントマイム的な演劇性を感じさせるもの、音楽というよりもダンス的な身体性やノンバーバルな意味性を感じさせるもの、動き自体の音楽性というよりも背後に流れる音楽に身を任せているように感じさせるものなど、さまざまなものがさまざまなことを感じさせてくれたように思う。

 ただ、全編無音で貫いたスタイルは、映画作品としての企画性が高くても、それで聾者における音楽というものを聴者に追体験させることは叶わず、少々疑問が残った。ちょうど入場時に配布された耳栓使用についての注意にあったように、耳栓で聴者の聴覚を奪っても、自身の心音などが気になって集中力が奪われる可能性があるわけで、サイレントにして聴者から俄かに音を取り去ることで聾体験ができるようなものではないはずだ。

 聾者における無音を聴者に想像させ感じさせることにおいて、サイレントというのは、ある意味、最も安直で危険なことのようにさえ思えた。パフォーマーが感じていたはずの風や空気、匂い、温度、そういったものが端から奪われている映像作品において、音をサイレントにすることで聾者の感じている世界を疑似体験している錯覚を与えることは筋違いのように思った。

 また、エンドロールで出演者をクレジットしながらも、どのパフォーマーなのか、さっぱり判らなかったのもちょっと残念だった。そんなふうに感じるくらい、それぞれのパフォーマンスが個性的で、目を惹いたということでもある。とりわけ川辺で舞っていたパフォーマンスと、喫茶と思しき場所で男女が交わしていた『キス&クライ』を彷彿させるような手の動きに魅せられた。


コメント談義:2017年09月04日 12:06~2017年09月05日 12:42

(TAOさん)
 トホホ、私は耳栓配布の意図に気づかず、ふつうに見てしまいました~。

ヤマ(管理人)
◎ようこそ、TAOさん、
 ご覧になってたんですねー。
 耳栓配布の意図は、より厳密に音を遮断しようというものだったようですよ。ただ使用上の注意として、場合によっては、逆に耳慣れない音が気になって集中の妨げになるので、ご注意くださいというものでしたから。

(TAOさん)
 幸い集中力にだけは自信があるので、耳栓はなくても大丈夫でした。

ヤマ(管理人)
 かつては集中力に自信のあった僕も、今やめっきり…(とほ)。でも、耳栓する前に、指を耳に差し込んでみたら、聴き慣れないノイズが気になったんで、耳栓は開封せずに返却しました。

 それはともかく、TAOさんがお書きの「心地よい風や緑や太陽の光の中で感じるよろこび。祈りや感謝にも似た魂の躍動がごく自然な動きになっていく」に快哉。やはりそこですよねー。川辺で舞ってたあれでしょ。

(TAOさん)
 そうですそうです!
 言葉を覚える前の子どももそうかもしれませんが、ふだんからボディコミュニケーションをふつうに行っている人たちは、動きがほんとに自然でキレイだなあと感心しました!

ヤマ(管理人)
 あの娘たちは、表情にしても動きにしても、実に魅力的でした。聾者といっても、途中からそうなった者と端からそうだった者では、音や音楽に対する感覚は異なるに違いないのですが、川辺で舞っていた娘は、どっちだったんでしょうね。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953169627&owner_id=3700229
編集採録 by ヤマ

'17. 9. 3. 喫茶メフィストフェレス2Fホール



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