美術館 夏の定期上映会“昭和ゴジラシリーズ新時代”

Aプログラム
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』['66] 監督 福田 純
『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』['67] 監督 福田 純
Bプログラム
『怪獣総進撃』['68] 監督 本多猪四郎
ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』['69] 監督 本多猪四郎

 先に観た『南海の大決闘』['66]は、'58年生れの僕がリアルタイムで観たゴジラ映画の最初の作品だとの記憶があって、半世紀ぶりの再会を楽しみにしていたのだけれども、褪色は激しいし、台詞が飛ぶくらいにフィルムが欠損しているどころか、シーンが途切れる箇所まであって、フィルム傷による雨が終始ふっている有様だった。これでは、亡き田辺さんによる小夏の映画会の上映と変わらないではないかと少々ゲンナリしてしまったのだが、時の経過はしっかりと感じた。

 それからすると、翌年'67年の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』['67]のほうは、色もきちんとついていて安心して観られる状態だった。ミニラのエピソードには覚えがあったものの、核実験ならぬ気象コントロール実験の映画だったことは、すっかり失念していた。観たのは9歳の頃だから無理もないのだが、半世紀前に気象問題を取り上げていたことに感心した。さすがに、地球温暖化を先取りしての南洋での降雪実験というわけではなく、地球規模での人口増に対する危機意識だったのだが、食糧危機に対する方策としては、かなり乱暴で、僕には核実験と同根のように見えた。積極的に人類の科学技術に対する不遜な態度を批判的に描いているとまでは言えない中途半端さだったが、降りしきる雪に包まれて親子ゴジラが冬眠させられている姿に、ふと昨年大ヒットしたシン・ゴジラで凍結されたゴジラのことを想起した。


 福田監督の2作によるAプログラムを観た翌日は、本多監督によるBプログラムの2作を観た。先に観た『怪獣総進撃』['68]は、カラーの状態もよく楽しめた。今にして観ると、ジュラシック・パークの先取りのようでもあって感心。しかし、もはや怪獣も制御不能の怪物ではなくなり、家畜化されているわけでいくら未来予想図とはいえ、これではもはや怪獣映画とは言えない気がした。

 キラアク星人がみんな女性姿だったりするのは、当時の女権伸長が、次代の社会の支配層は女性に取って代わるのではないかという潜在意識を刺激したものなのか、地球人とは異なる姿を顕著に示すものとして男権社会の裏を返したものなのか、当時、どのように受け止められたのか興味深く感じられた。また、いま観ると、怪獣を使った無差別破壊活動という攻撃手段が、どこかテロリズムのようにも思えてくるところが悲しい。

 続いて観た『ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』['69]は、ほんとの怪獣というのは人間の作り出す公害なのではないかとの提示で始まる物語ながら、その後、社会性の色合いはどんどん褪色してしまい、気弱だった子供が 、内に夢想し自己投影する怪獣ミニラ(声:内山みどり)に力を得て、一人で大金強盗の二人組をやっつける児童劇になっていた。マコーレー・カルキンが出演して大ヒットした『ホーム・アローン』を先取りするような強盗二人組の間抜けぶりがいささか興醒めながら、いかにもの造りにはなっていた気がする。映画には、時代や世相が反映していることから言えば、『オール怪獣大進撃』の大金強盗は、前年の三億円事件があってこそのものなのだろう。

 前日に観た『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』ほど悲惨な状態ではなかったが、フィルムの劣化による褪色が目立ち、怪獣登場シーンの旧作使いまわしぶりもひどく、なんだかとてもチープな印象を残していたように思う。




参照テクスト:「高知県立美術館HP」より
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/contents/hall/hall_event/hall_events2017/godzilla/godzilla.html
by ヤマ

'17. 8.26.~27. 美術館ホール



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>