『仁義なき戦い』['73]&『脱獄 広島殺人囚』['74]
監督 深作欣二 & 監督 中島貞夫

 松方弘樹追悼特集と銘打たれた二本立てを観た。今どきの不寛容と管理社会化の進んだ時代にはとても製作できないと思われる“人権蹂躙に満ちたアウトロー映画”であることが改めて印象深かった。こういう作品を観ると、腕力であれ、金力、権力であれ、力ある者にろくなものはいないというか、力を得ると人は皆ろくでなしになることが直截に描き出されていたことに感心せずにいられない。

 松方弘樹の追悼番組とするなら、僕は『県警対組織暴力』['75]のほうを観たかったように思うが、二年前の“ありがとう、さようなら 高倉健 菅原文太 追悼番組”で敢えて、亡くなる1か月前の「沖縄県知事選挙 1万人うまんちゅ大集会」での演説で発した「弾はまだ残っとるがよ」の『仁義なき戦い』ではなく『新 仁義なき戦い』のほうを持ってきていた劇場らしく外してきたうえで、松方弘樹のほうで『仁義なき戦い』を持ってきていたところが目を惹いた。

 おまけに、先に観た『脱獄 広島殺人囚』には、原案:美能幸三とクレジットされている。併映の『仁義なき戦い』で菅原文太の演じた広能昌三のモデルとなった人物だ。興味深い因縁のようなものを感じた。両作とも、主人公が身を隠した先が四国の愛媛県だったりすることにも目が行った。

 実録とは銘打ってはいないが、両作ともに実在のモデルがいたらしい。ともにMP(ミリタリー・ポリス)の登場する、日本が占領下にあった時代の物語だが、厳しい状況下にあっても生気とエネルギー溢れる面構えをした人々が、きっとたくさんいたのだろうなとちょっと神妙な気持ちになった。とりわけ今回初見となった『脱獄 広島殺人囚』で脱獄を繰り返す植田正之(松方弘樹)には、驚くほどに深い考えがなく、ただひたすら看守の鼻を明かして脱獄したいとの一念にブレがなくて強烈だった。その脱獄の仕方もさることながら、捕まり方のお粗末さというか呆気なさというか考えの無さが最低で最高だった。

 程なくして、戦国時代の“虎狼の族”を描いた『忍びの国』(監督 中村義洋)を観て、その“思想性の乏しさ”において植田殺人囚に通底する忍びの無門(大野智)を眺めながら、その思想性の欠如が描かれること自体の持つ時代的意味の差異を感じつつ、平成の時代に“虎狼の族”というかアウトローを描くと、本作や新宿スワンのような形になるのかと思うと、やはり僕は、世代柄、昭和ノスタルジーのほうに与したいと思った。
 
by ヤマ

'17. 7.12. あたご劇場



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