『人生フルーツ』
監督 伏原健之

 90歳の元大学教授の建築家・津端修一さん夫妻さながらに実に美しく色鮮やかな映画だった。まったく見事な人生だと思う。本当の意味での知的生活を観たような気がした。折しも著しく知性を欠いた米大統領がパリ協定脱退を表明したことの報じられた日だったから、よけいにその対照が際立って感じられたのかもしれない。キーワードは経済だ。

 経済優先によって損なわれるものへの着目を昭和の高度成長時代から表現してきた実践家の、我が道を気負わず弛まず歩む人生が眩しいばかりに輝いていた。まさに最期の花道のようにしてオファーのあった設計の仕事に彼が“幸せ”を述懐できたのも、その見事なまでの人生への果報のように感じられた。ささやかで軽やかで可愛らしいピアノ曲が頻繁に現れ、基調となっていたが、本作にとてもよく似合っていて、素敵に響いてきた。

 また、フレデリック・バックの『木を植えた男』さながらに高森山を再生させた里山づくりにも心打たれた。分野は異なるけれども、僕にも幾つかコツコツと続けていることがあるにはある。とても津端さんには及ばないことではあっても、もし90歳まで生きることができて、そのときまで続けていたら、どういう境地と出くわすことができるのかなとふと思った。

 そして、月給4万円の頃に70万円のヨットを買いたいと言い出した夫のために質屋に赴いたという奥さんの英子さんがいてこそ、修一さんの生き方が全うできたのであり、彼の人生の根本を支えていたことが明確に伝わってくるところがいい。御本人は、修一さんに教わっての野菜づくり果樹栽培だと語っていたが、自身の関わったニュータウンのなかで買い求めた三百坪の敷地内に70種の野菜と50種の果樹を修一さんが維持するうえで英子さんの担った役割は助手以上のものであったに違いない。実際、四十年間使い続けているオーブンでケーキを焼き、四十年間使い続けている土鍋で自家栽培の食材をコトコト料理しているのは他ならぬ英子さんで、彼女の存在なくしての自分はあり得ないことを熟知している修一さんの姿が印象深かった。

 無論のこと、無断欠勤も常習だったという修一さんの生き方は誰彼にも真似のできるようなものではないのだけれども、戦中戦後そして平成の時代を現にこうして美しく生きてきている夫婦がいたことを知ると、改めて心洗われるような気がする。決然と尊厳死に向かった『92歳のパリジェンヌ』でのマドレーヌ(マルト・ヴィラロンガ)のことを思うと、普段どおりの暮らしのなかで午前中に草むしりの作業をした後の昼寝に就いたままでの90歳での大往生というのは、この上ない有終の美だ。

 昨今のニュースを見聞きしていると、人類は進化のピークを過ぎてひたすら劣化に向かい始めている気がしてくるような世相にあるだけに、津端夫妻の生き方の豊かさが沁みてくるのだろう。そういったことも作用しているのか、高知の自主上映の近況からすれば、突然変異のような状況が起こっていた。旧知の主催者側から前売券が900枚出ているのでとの当日対応への協力要請を受け、それなら暫時、館側に駐車場整理に係る対応要請をしたほうがいいと助言し、久しぶりに受付もぎりにも立った(平日だったので最終回だけ)のだが、どうしてこういうことが起こったのか不思議でならなかった。おそらくは口コミの力だとは思うが、それにしても破格の出来事だった。

 そのため最終回は、当初、中庭スペースでの野外上映のみだったものが急遽、ホールとの二元上映に変更された。いくつか出店が並び飲食もできる中庭での野外上映は、本作に似つかわしい和やかな雰囲気が楽しめる空間になっていたが、ホール上映での画像の美しさのほうが僕には鮮烈だった。さすがのハイビジョンが効果的な彩りを醸し出していた気がする。

 
by ヤマ

'17. 6. 2. 美術館ホール



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