『ダンケルク』(Dunkirk)
監督 クリストファー・ノーラン

ヤマのMixi日記 2017年09月15日01:20

 さすがフォロウィングで監督デビューしただけあって、史実ものを撮っても、時間構成をいじらないといられないところが笑えた。そして、戦争を物語る気など些かもなく、戦場を描き出すことに執心している感じが、いかにもクリストファー・ノーランらしいように感じられた。

 でも、陸地(防波堤)の一週間、海の一日、空の一時間を並行して編集していることなどよりも、メディアが仕立てたがるヒーローの存在というものについての対照のほうが印象深かった。

 本作を観れば、陸地から駆け抜け、傷痍兵の搬送によって先乗りを果たそうとした17歳のトミー(フィオン・ホワイトヘッド)よりも、退役軍人のドーソン船長(マーク・ライランス)や、燃料切れを覚悟のうえで撤退作戦の援護射撃を続けた挙句に捕虜となったファリアー(トム・ハーディ)のほうが遥かにヒロイックだったが、メディア的には、絵になるトミーのほうが注目されるとしたものなのだろう。


コメント談義:2017年09月16日 00:06~2017年09月24日 00:13

(超兄貴ざんすさん)
 これ、「ダンケルク(地獄の一丁目)から、ドーバー海峡(三途の川)を渡って、故郷(現世)に還ってこようと、必死にもがく人々(哀れな子羊)を神様の視点から眺めてみました。」と、捉えると、結構、しっくりくる事に気付きました。
 燃料切れで滑空するスピットファイアのシルエットは、十字架を思わせますし、それが無残に焼け果てる姿を延々と写し続けるラストは、「神様も見放す本当の地獄は、ここからですぜ(グヘヘ)」と言わんばかり。
 いやー、ノーラン監督の徹底したリアリストぶり、本当に性格悪い(褒めてます)。

ヤマ(管理人)
◎ようこそ、超兄貴ざんす さん、
 面白い着想ですねー(感心)。ノーランが“三途の川”を知っているとはあまり思えませんが(笑)。ま、でも、時空を飛び越えた視点は、まさに神の特権ですよね。

(超兄貴ざんすさん)
 時空を飛び越えた視点
 これ、意図的に時間と空間を細切れにして、わざわざ、登場人物の誰の視点にも感情移入できないようにしているんじゃないか?と、思ったんです。逆に考えると、作品の登場人物全員に等しく寄り添える視座を持っているのは、それは、「神」以外ありえないのではないか?
 実際、神は「全ての信ずる者の傍に居る」ことになっているから、キリスト教的世界観に照らせば、ちゃんと、理屈は通っているのです。

ヤマ(管理人)
 神の視点ですか。作品からそれを感じることは僕にはありませんでしたが、あり得なくはないですね。
 ノーランの作風からは、そういった意味性よりも意匠性のほうが強い気がします、僕は(笑)。理屈は確かに通るのかもしれないけれど、感覚的には、むしろひどく人間臭い映画だった気がしますねぇ。

(超兄貴ざんすさん)
 いやー、ラストの、燃料切れで滑空するスピットファイアのシルエットが、十字架っぽいじゃないですか。劇伴も、時計のチクタクが、あそこだけ、静謐なメロディに転調しますし。で、浜辺で見ていた兵士たちは、あの光景に「神の救い」を重ねているという情景でしたよね。
 でも、本土決戦を睨んだ状況で、空軍は、一度の救出に一個小隊(3機)しか割けない上、帰投優先だったのでしょう。1週間にわたる救出作戦の大半で、空軍は、ドイツ機に壊滅させられたか、途中で、帰ってしまっている。故に「空軍は何してたんだ」となじられてしまう訳です。でも、民間船の船長は、「我々は見ていた」と言う。これは、即ち、「神も見ている」事を示唆しているのではないかと思うわけです。
 そして、帰投を諦め、最後まで闘ったスピットファイアは、浜辺に不時着し、焼き捨てられます。もちろん、史実に照らせば、それは機密保持の為ですが、ラストに延々と燃え尽きる様を見せながら、チャーチルの反攻宣言を被せてくるあたり、明らかに、今後の戦局が泥沼化する事による「神の不在」を暗示しているのではないかと思ったわけです。
 ヤマさんのおっしゃる「ひどく人間臭い」、これには、同感ですね。やたらと、ズルしちゃったり、極限下で村八分の議論が出てきたり…。でも、これも、「善い行いをすれば助かる」に照らすと、当然なんですよね。善人が助かるのは、来世の話であって、現世の話じゃない訳ですよ。
 だから、善い奴だろうが、死ぬときゃ死ぬし、ズルい奴がタマタマ生き延びちゃったりする訳で…

ヤマ(管理人)
 なるほど、「神の救い」に「見ている神」に「神の不在」ですか。神という存在は、人の心の内に宿るものですから、そのように見えてくることに何ら違和感ありませんね。とりわけ人の生死が問われる戦場ものですから、なおのこと。
 トミーたちを「ズルい奴」と言ってしまうのは酷な気がしますが、善人に救いが訪れるのか、悪人のほうがむしろ正機を得るのか、これまた内なる心に神を宿した各自の胸の内によって異なってくるのでしょうね。
 僕自身は、神よりもむしろ、ヒーローという存在について想起させられるところが多かったので、あまり神を意識しなかったというだけのことかもしれません。
編集採録 by ヤマ

'17. 9.14. TOHOシネマズ6



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