『葛城事件』
監督 赤堀雅秋

 大阪で起きた池田小事件をモチーフにしていると仄聞していたせいか、無差別殺傷事件の犯人の父親を主役とし、三浦友和が演じた作品のチラシに記された惹句「俺が一体、何をした。」のイメージが、観る前とまるで異なって映ってきたことに驚いた。

 若いうちから男の甲斐性として一国一城の主たる持ち家を構え、家族を養い守ることこそ本分と考えていたことの窺える葛城清(三浦友和)は、いくらか難はあっても、決して不埒極まりない人物ではないように映ったから、彼の呟く「俺が一体、何をした」に挑発的響きはなく、本気の弱音を感じた。

 残された写真等から窺える、子供たちがまだ幼き時分の葛城家の明るさが、メディア好みの“判りやすい原因”など特にない形で暗転していった気配を覚えるだに、既に三人の子供たちが、さしたる誉れも傷もない恙なき独立を果たしている我が身の幸いを思った。

 葛城家ほどの暗転であってさえも、目立った因果というものが歴然としているわけではないというのが、人の世と営みの実相なのだろう。なかなか恐い映画だった。家運のみならず世相にしてもそういうものかもしれないなどと思うと、ますます恐くなってくる。

 そんななか、いちばん不可解な存在だったのは、田中麗奈の演じていた星野順子だった。何ゆえ死刑囚の葛城稔(若葉竜也)と獄中結婚をしたのか、その理由は彼女自身の口から述べられもするが、腑に落ちてこない。居場所のなさのもたらす症例の一つのようにも映ったが、繰り返し彼女の発する「心を開く」ことのもたらすカタルシスが、彼女自身を含めて、全く得られなくなっている人たちばかりの物語で、少々しんどかった。

 なかでも僕の哀れを最も誘ったのは、長男の保(新井浩文)だったが、物事が悪しき方向に転がりだすと個人の力ではいかんともしがたいと言われているようでもあって、やりきれなかった。金物屋を継ぎたいと言っていたことを、清はどのような想いで思い起こすのかと考えると、なんとも堪らない気になってくる昔の写真が、実に強烈だった。



参照テクスト:mixi日記コメント談義編集再録
by ヤマ

'16.11.28. 美術館ホール



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